映画監督 ☆川島雄三☆ 『喜劇・とんかつ一代』『イチかバチか』

川島監督は50本の映画を撮られた。49本目が『喜劇・とんかつ一代』、50本目が『イチかバチか』である。 (『飢える魂』『続 飢える魂』を一本とする。これは続けて撮ったらしく、長さから2本にしているが、川島監督はシリーズ化をしない監督であるので、撮るときは1本の感覚で撮っているように思うので1本とする)  最後の作品が『イチかバチか』のタイトルで、最後まで映画に自分の全てを賭けられたようで、喜劇であるというのも監督らしい。

この映画の公開数日前に亡くなられ、飲み屋の借金は全て返されていたらしい。それも、亡くなって数日後に川島監督の自筆で届いたところもあり、益々、伝説の残るかたである。筋肉が次第に委縮する病気に罹られていて、最後に喜劇で終わるというのは、ご自身の肉体の対極であり、監督が自分と闘いつつ最後まで楽しんで映画を撮られていたのだと想像し、こちらは大いに笑い、時にはクスクスとほくそ笑み楽しませてもらう以外に居場所は無い。『喜劇・とんかつ一代』の時、お隣に座っていた高齢のかたが、途中で帰られた。時々、ブツブツつぶやかれていた。どうも不満だったようである。 「監督、帰られたかたがいましたよ。」「フフフフッ!帰られげしたか。」 帰られたかたは、バカバカしいと思われたか、これが川島か!と思われたのかもしれない。巨匠にならなかった監督の「フフフフッ!」である。

川島監督は常に新たなものを求めて、当たってもシリーズ化しなかった。『喜劇・とんかつ一代』の後の『イチかバチか』では、俳優陣を一新している。東宝時代は、大映で、<女>を描いている。自分の主義のためには撮らないという監督ではない。ご自分の病から、そんなことは贅沢と思われたのかどうか。外部から病と仕事を並べることを好まれなかったであろうから、やはりクスクスしかない。

『喜劇・とんかつ一代』。原作・八住利雄/脚本・柳沢類寿/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、フランキー堺、加東大介、淡島千景、団令子、三木のり平、池内淳子、小暮実千代、山茶花究、横山道代、水谷良重(現八重子)、岡田真澄、益田喜頓

森繁さんは、トンカツ屋の主人で、奥さんが淡島さん。淡島さんの兄が加東さんで、レストラン(上野精養軒がモデル)の料理長。加東さんの息子がフランキー堺さん。加東さんの奥さんが小暮さんで連れ子が池内さんで、その夫がクロレラを研究している三木さん。森繁さんは加東さんの下でフランス料理の修行をしていたが、加東さんの息子のフランキーさんが継ぐのが良いとして、加東さんの下を離れ、一流のトンカツ屋となっている。加東さんにしてみれば、自分の下を去った理由が判らず許せない。期待の息子は、料理ではなく、経営の方に興味があり、レストランを、父のかつての友人の益田さんに買い取らせ新しい経営を吹聴する。恋人が団さんで、フランキーさんはビジネスのため益田さんの娘・横山さんとも付き合う。団さんの父が山茶花さんで豚殺しの世界選手権にでるような名人である。

そこに、箸とおしぼりを研究にきているフランス人の青年・岡田さん、芸者のりんごちゃん・水谷さんが絡む。森繁さんがお気に入りの女性は皆果物の名前がついている。りんごちゃん(帯の柄がりんご)を筆頭にバナナ、メロン、パイナップル等がトンカツ屋へ挨拶に来る。そして、奥さんの名が柿枝で柿のレイを淡島さんの首にかけ、ヨイショする。そんなショート、ショートが間に入る。間でショートを楽しみ、それぞれの間を楽しみ、どうしてそういう動きを考えだすのだろうと楽しんでいるうちに上手く話はまとまっていく。

三木さんと池内さん夫婦はクロレラを使っての料理しか食べない。三木さんは内緒で森繁さんのトンカツ屋に入る。見ている方はばれるでしょうにと、その後の演技を楽しみにする。小暮さんが来ていてばれてしまう。それぞれが、あれ?あれ?あれ?の伝達が楽しい。連鎖反応。この研究家は認められアメリカにいくことになる。外国へ行くのは、映画の中での出世、別れ、の常套手段である。

役者さんを動かすために、セットも動線を考えて造られている。川島監督は、階段を使う。家の中などにも、段差をつける。そのことによって、左右だけではなく、上下の動きもでる。身体の動きのリズム感も違ってくる。

上野の不忍池弁天堂では<豚魂祭>(だと思います)が行われて当時の不忍池周辺も味わえる。レストランからのテラスには、動物園への近道との案内板があり、すぐ隣りが動物園で動物の鳴き声がしている。見たり聞こえたりして、なぜ?と思ったことに関してきちんと何処かで謎解きがなされるようになっている。ただテンポがあるので、それに乗っていかないと、なんなのこれ訳わからないとなってしまう。トンカツの講釈も述べられるが、記憶する能力にかけるからその場で聞いて、その場で忘れる。

これだけの出演者がいれば、役者さんをどう動かすのか想像するだけでも見たくなる。森繁さんが何か歌われるが、歌よりも映像に追われて歌詞がよく判らなかった。あっても無くてもいいような歌と思うが、川島監督は歌を入れるのが好きである。

『イチかバチか』。原作・城山三郎/脚本・菊島隆三/逢沢譲/出演・伴淳三郎、ハナ肇、高島忠夫、水野久美、山茶花茶、谷啓、団令子、横山道代

先ず200億の現金が積み上げられる。製鉄会社の社長・伴さんは、現金を見ないとやる気が起こらないという。その現金を前に、鉄関係が冷え込んでいるのに、200億の私財を投じて大製鉄所を造る事を決心する。イチかバチかの大勝負である。この現金、終盤にも出てくる。是非わが町へと県や市の政治家が動く。その一つの東三市の市長・ハナ肇さんが調子よく伴さんに東三市をアピールする。伴さんのところには、かつて借金を申し込んだが断られ自殺した友人の息子・高島さんが他の会社から引き抜かれてやってくる。早速、東三市の市長と市の偵察を仰せつかる。行ってみると、必要な土地の広さはない。この映画は弁舌である。土地の前は海。後ろの山を崩して埋め立てれば、その場所は確保され、新たな道も出来る寸法である。

これは開発の常套手段である。環境派の人は見ない方がよいかも。何が噓で何が真実なのか。などと深刻になるほどの内容ではないが、東三市では、大風呂敷の市長に反対する市議・山茶花さん等が市民集会を開く。そこへ、市長が弁明のため現れる。市長はこの誘致のため相当のお金を使っている。ところが、それは全て自分の個人的お金であった。市税は使っていない。そのことを弁明に伴さんが登場する。

伴さんは、市議たちは、この集会のために、公共の施設をただで使い、マイクも全て公共のものをただで利用している。ところが、市長は車は自分のもの、宣伝ようのスピーカーは、電器店から借りて、公共のものは使っていない。些細なことだが、それが大事なのだという。伴社長清貧といえば聴こえがよいが、ケチに徹している。

市議は、市長には3人もの女がいるという。芸者と秘書と未亡人である。そうだと市民は盛り上がる。秘書(水野久美)は自分は市長とはそんな関係ではなく、今日結婚したと告げる。それを受けて谷啓さんが、その結婚相手は自分で戸籍係りだから間違いないと名乗り出る。市長は未亡人との結婚届を今日出しました、女(横山道代)はひとりですと宣言する。戸籍係りは確かに市長の結婚届は受理したと叫ぶ。戸籍係が出てきたのには笑ってしまった。

最後、この誘致は実現可能な話なのか、疑心暗鬼の市民に、伴社長は、では現金をお見せすると、市議会室に200億積み上げるのである。辻褄が合います。人間現金を見なければ信用できないのです。人のお金で失敗する政治家のかたは後をたたない。自分で働いて得たお金ではないのだから、もっとも信用してはいけないお金なのに。

 

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