『矢の根』二世松緑さんの二十七回忌追善狂言で、現松緑さんの曽我の五郎である。この五郎の動きは松緑さんの身体の中に、完璧に入っている感じでスムーズに動かれる。この動きを安心して見せられていると、少し五郎のヤンチャなアクセントが欲しくなる。稚気さが欲しい。台詞で工夫されているのかもしれないが、それが一本調子に聴こえる時がある。そこが松緑さんの稚気としての狙いなのかもしれないが。
十郎の藤十郎さんは、夢の中に出てきているのだと思わせる雰囲気である。手の動かし方の柔らかさ。短い出なのに十郎が夢の中にでてきていると考えなくても納得できるのである。それを観て、十郎が夢に現れた前後での五郎の気持ちのクッションが欲しいと思えた。
古い雑誌を読んでいたら(断捨離するべきが読んでしまった)、小沢昭一さんが「虎が雨」という文があり、 小学唱歌に「曽我兄弟」があったいう。♪ 富士の裾野の夜は更けて 宴のどよみ静まりぬ 尾形尾形の灯は消えて あやめも分かぬ五月やみ ♪ 十八年のうらみを果たしてから兄弟は討たれ、十郎の死を知って遊女虎御前の流した涙を<虎が雨>といって俳句の季語になっていると。
私も一句。「柴又を 番傘で去る 虎が雨」・・・アッ、これは「虎」ではなく「寅」か、没です。
そう言えば、五郎の台詞や大根をムチにして兄救出に馬を駈けさせる五郎には、寅さんに通ずる可笑しさもある。
『人情噺文七元結』こちらも二世松緑さんの追善狂言である。左官長兵衛は菊五郎さんで、相手とのせりふの妙味で聴かせる芝居であった。女房お兼(時蔵)とのからみ、角海老女将お駒(玉三郎)からの諭しに対する会心、娘お久(尾上右近)との親子の情愛、自殺しかける和泉屋手代文七(梅枝)とのやりとり、和泉屋清兵衛(左團次)とのお礼のやりとりなど、それぞれに相対するところから浮かび上がる江戸っ子職人左官長兵衛の可笑しくも憎めない人間像を浮き彫りにしっていった。
角海老で足をしびれさせるところも大袈裟にはせず、和泉屋清兵衛との文七にやった50両のお金のやりとりも何回も固辞せずさらりっと納得して受け取り、笑いを強調するのではなく、貧しい中での江戸の庶民の人情をさらりっと表現した。
長兵衛の貧しさに気を効かす角海老手代藤助(團蔵)、店子の世話を焼く大家(松太郎)、ここぞという時に締める鳶頭伊兵衛(松緑)など役者さんもそろった。
文七の梅枝さんは、かなり主張の強い手代でおかしかった。主人に信用され仕事も完璧と思っていた若者の挫折から死しかないと思うとすれば、こうなるかもと思わせた。
お久の右近さんの長屋にもどった時の着物の柄が良かった。これはいつも決まっているのであろうか。今回どういうわけか柄に目がいった。角海老の女将がお久にあう着物を選んで着せてくれたと思わせるものであった。
ちょっとしたところにも、貧しいその日暮らしの江戸の庶民の交流が芝居の中にはあった。