河鍋暁斎とジョサイア・コンドル (1)

三井記念美術館で『川鍋暁斎の能・狂言画』開催中である。

<河鍋暁斎>と眼にすると個性に強い怪気的イメージを受けるのであるが、今回のテーマは「能・狂言画」である。ユーモアがあったり、躍動的だったり、幽玄に充ちていたり暁斎の幅の広さと奥の深さを知らされた。そして、能・狂言に詳しい人も、よく知らない人も、実際に観てみたいと思わす企画展示であった。ここの美術館は作品の数的にも丁度よい数で、いつも音声ガイドを借りるのであるが、この解説も気に入っている。これも難しいもので、あまり専門的に詳しくても疲れるし、軽すぎると別に借りることもなかった、となってしまう。

暁斎という絵師は狩野派に所属していて18歳で独立している。幕末から明治にかけて活躍している。能は自分でも習い、その費用は貞光院という方が援助してくれその方の墓前で三番叟を舞う画も描いている。「猩々」などは自分でも好きなのか何枚か描いている。

「能・狂言画聚」は沢山の演目の印象的一場面と詞をいれ、後のち参考になる資料ともなっている。それも躍動的で狂言師の笑顔は観客の笑顔でもあると思わせる。自分の実際の体験から下絵ではあるが「道成寺」で白拍子が鐘に入ってから鐘の中で後シテがロウソクの明かりの中で鬼に支度する様子が描かれている。鐘の中などの画は初めて見た。

能の場合は鐘の下に行き堕ちてくる鐘の中に入るのであるが、鐘が降りて来たとき中で飛び上がり鐘が堕ちきらないうちに足を見せなくして鐘を地に着かせるのである。そのタイミングが難しく、飛びすぎて頭を鐘の天井にぶつけたりすることもあるそうである。能の「道成寺」を観た時そんな解説を聞いた。

時代的に14代将軍家茂が3代将軍家光以来240年ぶりに上洛し、それを記念して能が庶民にも披露されそれを見たあとの様子が「東海道名所之内 御能拝見朝番」に描かれている。これは背景が二代歌川広重、二階から覗く女中達を歌川芳虎、浮かれる町人達を暁斎が合作で一枚のえ画にしている。浮かれる町人たちの姿が生き生きとしていて、暁斎の才能の広さがわかる。

面白いことに、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸、旧古川庭園など設計して携わったジョサイア・コンドルが暁斎の弟子で<暁英>の画号をもらっている。さらにコンドルは暁斎の生い立ちや暁斎の晩年の仕事の細部までを記録し本にしており、暁斎の名を海外に知らしめている。(「河鍋暁斎」ジョサイア・コンドル著社/山口靜一訳)

河鍋暁斎とジョサイア・コンドル (1)」への1件のフィードバック

  1. 今日、テレビ「日曜美術館」の再放送で<川鍋暁斎>をやっていた。コンドルによって暁斎の技法が詳しく残ったわけである。暁斎も異国の良き弟子に恵まれて良かった良かった。
    さらに行方が判らなくなっていた喜多川歌麿の「深川の雪」が日本で発見された。保存が良かったのか、色あざやかである。「吉原の花」「品川の月」の3部作だそうで、そのことは初めて知った。2作品はアメリカの美術館にあるらしいから、日本によくぞ残っていてくれたものである。永いかくれんぼであった。

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