立川志の輔 『中村仲蔵』

落語の『中村仲蔵』はそう長い噺ではない。天明の頃、歌舞伎の血筋ではない、後に名優と言われた中村仲蔵が名題にまでなり、その最初に与えられた役が「仮名手本忠臣蔵」の五段目の斧定九郎(おのさだくろう)である。この役はは名題下が勤める役どころで、仲蔵にして見れば嫌がらせともとれるものである。仲蔵は何んとかこの役を自分の工夫で見せたいと願い舞台にのぞむのである。

志の輔さんは「仮名手本忠臣蔵」の説明から入った。『牡丹灯籠』の時は、その人間関係の複雑さから概略を説明された。今回は<赤穂事件>から47年たって初演され、それも時代を鎌倉に変え、登場人物の名前も変え、単なる<赤穂事件>が敵討ちの話「仮名手本忠臣蔵」となって蘇らせたた事を話された。そして、「仮名手本忠臣蔵」の粗筋を十一段目まで解説していくのである。

これが幸いなことに、歌舞伎の場面、場面を思い出させ、あの時のあの役者さんはこうだったと思い出させてくれるのである。さらにそこでの役者さんの華があったか、腹があったか、心理がにじみ出たかまで走馬灯のように浮かび上がらせてくれ、やはり「仮名手本忠臣蔵」は大作で役者を見せる出し物であると再認識させてくれた。その中で、斧定九郎の役はお客が弁当を食べつつ、ここで定九郎が与一兵衛のあとからどてらをきて出てきて呼び止めて終わって、次がと箸を動かす程度の役である。大作なるがゆえに如何に斧定九郎という役がつまらない役であるかを叩きこんだわけである。その役を仲蔵はどうしたのか。

志の輔さんは小さな噺の中に大きな「仮名手本忠臣蔵」を入れてしまったのである。歌舞伎の中の小さな落語の噺ではないのである。落語の中に歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」を封じこめたのである。なぜ出来たか。前もって「仮名手本忠臣蔵」を説明することによって聞き手は仲蔵になっているのである。仲蔵の口惜しさ。何いってるか。工夫を見つけてやる。仲蔵の頭も身体も、「仮名手本忠臣蔵」の全てが入っているのである。聞き手は芝居の粗筋を知っただけであるが、仲蔵の気持ちは十分にわかる。志の輔さんの罠にはまってしまった。

上手く工夫が浮かぶようにと、柳島の妙見様へお参りし、37日の満願の日の帰り道、蕎麦屋で雨宿りしていると浪人が駆け込んでくる。黒羽二重の紋付に、五分月代(ごぶさかやき)、大小をさし、着物のすそは高くはしょり、壊れた蛇の目傘。 できた! 斧定九郎は、赤穂の家老職のむすこである。どてらの身分ではない。

斧定九郎の出。反応無し。お客は驚き静けさのあとに・・・。反応無し。最後まで無反応。                        しくじった・・・・!

役者修行のため身を隠して旅へ。人の中を歩いていると、定九郎を褒めている声が聴こえる。一人でも褒めてくれる人がいる。聞き手はもう仲蔵になっているから、嬉しくて目がじわじわとしてくる。違う芝居の定九郎の話が出てくる。えーっ!それじゃ、下手人は勘平じゃない。これには参ってしまう。降参である。泣かせておいて笑わせる。勘平が定九郎を殺した犯人にされてしまった。定九郎が勘平より上になったのである。よくドラマで思いがけない人が人気が出て消えてしまうところを消さないでと嘆願するようなものである。この情から笑いへの転換、情の上に笑いを重ねる職人芸。

志の輔さんは、松竹の回し者ではありませんが、歌舞伎座11月、12月は「仮名手本忠臣蔵」ですと。こちらも、松竹の回し者ではないが、11月の斧定九郎は松緑さん。12月は獅童さんである。今の歌舞伎の斧定九郎のしどころを楽しむのも良いかもしれない。

志の輔さんの『中村仲蔵』は二度目であるが、江戸時代の名題下は幾つかに分かれていて仲蔵がいかに芝居が好きで一生懸命だったか、蕎麦屋に駆け込んだ浪人がゆったりと大きくつくられたこと、泣きから笑へのかぶさりかた、この辺が濃厚になっていた。その位の濃厚さがなければ噺の中に大忠臣蔵は取り込めないであろう。

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