『四谷怪談』関連映画 (1)

怪談映画は観ないほうなのであるが、木下恵介監督の『新釈 四谷怪談』<前篇・後編>を観たところ、鶴屋南北さんのとは登場人物の名がおなじでも、設定がちがいそのあたりが面白かったので、その後6本ばかり観てしまった。

怪談ものとあって、おどろおどろした映像には閉口したが、伊右衛門、お岩、お袖、直助、与茂七、宅悦、伊藤喜左衛門にあたる人物が商人だったりして、人物構成の相違などに頭がいき、お岩さんの怖さなど薄れてしまった。

『新釈 四谷怪談』(1949年)監督・木下恵介/脚本・久板栄二郎、新藤兼人

伊右衛門が上原謙さんで、お岩の田中絹代さんが妹のお袖の二役である。『愛染かつら』コンビが、四谷怪談である。上原謙さんの伊右衛門は悪になりきれず、迷いに迷う伊右衛門で最後は毒を飲んで死んでしまう。田中絹代さんのお岩は、かつて茶屋女で武士の妻として努めるが、仕官できない伊右衛門につらくあたられ、ついにはむなしい最後となる。顔の傷は、伊右衛門に行水をさせるための熱湯で火傷をし、火傷にきく薬と渡されたのが悪化させる薬であった。妹のお袖の田中絹代さんは、姉の死に不審におもい、岡っ引きの親分に調べてもらうというしっかりした妹である。

お袖の夫の与茂七が宇野重吉さんで、この二人がお岩の死をきちんと弔うこととなる。直助は、滝沢修さんで、しっかり伊右衛門をあやつる悪人である。お槙が杉村春子さんで、まわりを新劇俳優でかため演技力もたのしめる。江戸時代の怪談でありながら、近代人の人物描写も伝わってきて、木下監督らしい解釈の四谷怪談である。

『四谷怪談』(1959年) 監督・三隅研二/脚本・八尋不二

長谷川一夫さんが伊右衛門である。ファンへの配慮はおこたらない。御家人の役付きも賄賂を使っての世界で、そんなことまでして役付きになどなりたいとは思わない伊右衛門である。直助の高松英郎さんや仲間内にはかられての展開とし、最後はそれらの悪人を切り倒し、仏堂で岩に謝っての死となる。さらにお袖がくれた岩の美しい着物がどこからともなくふわっと飛んで来て伊右衛門を包み込むのである。美しい大スター好みを裏切らない終わり方としている。お岩は中田康子さんである。

『四谷怪談 お岩の亡霊』(1969年)監督・森一生/原作・鶴屋南北/脚本・直居欣哉

原作・鶴屋南北といれている。<お岩の亡霊>とつけ加えているのは、佐藤慶さんの伊右衛門が根っからの悪人だからであろう。岩の父は殺すし、札差伊勢谷の娘梅を悪漢から助けてやるがはじめから段取りをして悪漢をやとってのやらせである。

自分には能力があり、士官さえすれば実力を発揮できるとする自己顕示欲の強い伊右衛門である。そんな伊右衛門であるからお岩が邪魔であるとはっきりおもっていて沢村宗之助さんの宅悦にお岩に言い寄るように命令する。沢村宗之助さんは時代劇の悪役のうまい役者さんでこの宅悦もなかなか味がある。

お岩の稲野和子さんは蚊帳で生爪をはがすが、この場面は観た映画の中でこの映画だけであった。その傷の薬を買ってお岩に渡し喜ばせ、そのあとで、毒薬を飲ませる伊右衛門である。最後に伊右衛門、「首がとんでも動いてみせる」のセリフをはく。

先ごろ亡くなられた、演出家名でお客さまを呼べた蜷川幸雄さんの監督映画を二本。舞台でも『四谷怪談』を演出されているが観ていない。

『魔性の夏 四谷怪談・より』(1981年) 監督・蜷川幸雄/原作・鶴屋南北/脚本・内田栄一

伊右衛門が萩原健一さん、岩が高橋恵子さん、袖が夏目雅子さん、与茂七が勝野洋さん、直助が石橋蓮司さん、宅悦が小倉一郎さん、梅が森下愛子さんで、若者たちの「四谷怪談」という印象である。

筋としては鶴屋南北に近いが、どこか現代風の感覚である。かたき討ちなどする気のないくせに、かたき討ちには金がかかるという伊右衛門の言葉が結構きいている。かたき討ちのためには情報がひつようである。情報をえるためには動きまわらなくてはならない。たしかにお金が必要である。全体の発想としては、それほど過激ではない。他の注目点では伊右衛門と岩と梅が歌舞伎を観にいく。演目が「かさね」で、役者さんは市川左團次さんと先代の嵐芳三郎さんであった。

『嗤う伊右衛門』(2003年)監督・蜷川幸雄/原作・京極夏彦/脚本・筒井ともみ

原作が京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』で、鶴屋南北さんの原作や他の書物をからめあわせて作品化しているので発想の基盤が異色である。まず、岩が、伊右衛門と会うまえから顔に疱瘡のあとがある。じつは疱瘡のあとではなく父の思惑から薬をのまされてのことである。

お岩の小雪さんが顔の醜い右と美しい左を見せ、さらに正面をみすえて、心は凛としているさまをあらわす。しかしそれを支えているのは、民谷家の武家の総領としての自分の立場である。ところが、お岩のすべてをみとめてくれる夫があらわれる。それが、唐沢寿明さんの伊右衛門で、民谷家に養子に入り岩の夫となる。それをあっせんするのが、又一の香川照之さんで、この又一が世間のしくみに精通している。ようするに情報をもっている。しかし乞食同然である。

幸せになるはずのお岩さんは、父の上役の伊藤喜左衛門の椎名桔平さんによって伊右衛門と別れるようにしむけられる。お岩さんの民谷家をまもる意地を利用されてしまう。この映画では伊藤喜左衛門が悪の権化である。つらぬいているのは岩と伊右衛門の愛の物語である。伊右衛門は岩を殺し、蚊帳の中の長持ちの上に座り、笑ったことのない伊右衛門がはじめて笑い、喜左衛門を切るのである。「首が飛んでも動いてみせるわ」のセリフをいうのは喜左衛門である。後に長持ちをあけてみると、岩と伊右衛門の亡骸が寄り添って横たわっている。周囲には幸せそうな二人の笑い声が響いている。

おどろおどろしい映像ではなく、もう少しすっきりした美しい映像にしてほしかった。こういうときは、原作を読んで、あらたに映像を自分で作りなおすしかない。どれも耐え忍ぶお岩さんだが、事実を知って怒りを爆発させる小雪さんのお岩。すべてのお岩さんの怒り、くやしさを一気に吐き出している感がある。

『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(1994年) 監督・深作欣二/脚本・古田求、深作欣二

この映画は、発想が飛んでいる。そしてテンポが深作監督ならではのリズムである。忠臣蔵でよく知られた面々が登場し人数も多いが、それぞれの役どころを抑え配置して、俳優さんの個性もいかしている。浅野家の家臣となって日の浅い佐藤浩市さんの伊右衛門を内匠頭の切腹の場に位置させ、伊右衛門が義士のひとりでありながら、脱落していく過程をわかりやすくしている。

岩は、湯屋で娼婦をしているが、その登場場面の高岡早紀さんの笑顔がなんともあいらしい無垢さである。このお岩さん、伊右衛門に裏切られるが吉良家の侍に殺されることもあって、死んだあとは、雪女のように雪を噴き上げ赤穂の義士たちに加勢する。この映画は見直しであるが、発想の面白さに再度ひきこまれた。琵琶も効果的である。

伊右衛門とお岩さんは、幽霊になって赤穂浪士の本懐をとげた姿をみとどけ、ふたり仲睦まじく死後の世界を歩み始めるのである。最終的にはラブストーリーとしている。出会ったときの二人である。

喰女ークイメー』(2014年)監督・三池崇史/原作・脚本・山岸きくみ(『誰にもあげない』)

『四谷怪談』の舞台稽古と重ねて、その芝居の伊右衛門役の市川海老蔵さんと、お岩役の柴咲コウさんとの関係を描いている。『四谷怪談』同様、海老蔵さんが柴咲さんを裏切り、柴咲さんが海老蔵さんの首を自分だけのものとするという話である。

発想は面白いが、舞台稽古が暗く、スローテンポで退屈してしまった。おもわせぶりがながすぎる。こういう部類の映画はテンポが必要である。残念である。

好んで選ばない映画をみてしまったが、今後、ほかに『四谷怪談』系の映画がみつかれば観るであろう。

 

2017年2月20日 | 悠草庵の手習 (suocean.com)

 

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