推理小説映画の中の橋

評論家川本三郎さんの文章に次のようなのがある。[ 東野圭吾原作、西谷弘監督の「容疑者Xの献身」では天才的数学者を演じた堤真一が萬年橋の袂のアパートに住んでいるという設定。朝、勤め先の高校に行くために彼は部屋を出て萬年橋を渡り、さらに清洲橋を渡って浜町方面へと出る。東京の美しい橋を二つ渡っていくのだから幸せだ。]

映画は見たのであるが、堤真一さんが萬年橋と清洲橋を渡っている記憶がない。隅田川らしき川縁を歩いていたのと勤めの途中のお弁当屋でお弁当を買い、お弁当屋の女性に好意をもっていたのは覚えている。その女性は彼の隣に住み、その女性に献身的に尽くすかたちとなるのである。原作を読んでいないのでこの二つの橋を渡るのが原作にもあるのか、映画だけの設定なのかは不確かである。

しかし、8月23日の<本所深川の灯り(3)>で<万年橋>を渡り見た<清洲橋>の美しさを、12月23日の<日本橋から品川宿(1)>では船から反対方向からの<清洲橋>もみているので、映像になっているのは嬉しい。やはり一度は渡らねば。

もう一つは、同じく東野圭吾さんの原作の「麒麟の翼」である。<日本橋>である。これは刺された男性が<日本橋>の麒麟の像の前で息絶え、そのことに重要なメッセージがあったという推理小説である。先ごろテレビでその映画を放映したので見たが小説を面白く読んでいながらかなり内容を忘れていた。映画は原作を損なわず良く出来ていた。日本橋三越劇場「お嬢さん乾杯」の舞台を観る前に、<日本橋>から男性が刺された現場、<江戸橋>の地下道へ行って見た。地下道といっても橋から降りてまた上にあがるという短いものである。橋の欄干も犯人が走りでて人とぶつかっているので、この橋でここで刺されたのだと妙に感心する。感心したのはそれだけでは無い。よくこの場所を見つけたということである。映画には出てこないが刺された男性は<日本橋>まで歩く。その道は右手は某証券会社の厳つい建物で左手もビルで人通りがすくないのである。夜ともなれば誰とも会わない事も可能である。

そして<日本橋>を渡る手前に交番がありその前を通る。その日は交番前に2人の警察官が何か話しをしていたが、映画では一人の警察官が交番を離れて警護していて刺された男性を酔っ払いかなと不審に思う。でこの交番で救いを求めなかったのはなぜなのか。それが刑事(阿部寛)の鋭い疑問の一つである。そして翼がありながら<飛べない麒麟>。社会問題や教育問題をも含ませつつの展開。 <日本橋>から<江戸橋>をぐるりとめぐり、ほとほと翼のある麒麟に目を向けた東野さんに感心した。

その前にこの二つの橋の下を船めぐっているので、東野圭吾さんは、それはされていないであろうとつまらぬことに胸を張るが、麒麟の像のあの胸の張り方には太刀打ち出来ない。

映画「容疑者Xの献身」のの二つの橋が気になり、福山雅治さんのファンである友人にDVDを再び借りる。橋が出てくる。ドラマを追うのに忙しくて沢山の<萬年橋>と<清洲橋>を見逃していた。でも、実際に見た<清洲橋>が一番美しかった。「犯人が日本橋の交番に自首してきたそうです」の台詞があり可笑しかった。東野さんあの場所お気に入りなのかも。<四色の隣り合う色が同じ色に成っては美しくない>。泣かせる言葉である。友人の報告によると、福山さんは東野さんの原作「真夏の方程式」の映画に出演し夏頃公開。そして秋には是枝監督の映画にも出演らしい。DVDで友人にまたお世話になるかもしれない。

季節外れの日本橋の七福神も廻りたいものである。

 

 

 

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