「大原富枝の平家物語」を読み始めた。読みやすく、見逃していた細かいところに興味がいく。
高倉宮以仁王(たかくらのみやもちひとおう)が大切にされていた笛のことなど。宮は<小枝(こえだ)>と<蝉折(せみおれ)>二本の笛を所持されていた。二本とも中国産の竹からできている。<小枝>は宮が御所から逃れる時忘れたのを信連が届け最後まで所持されていた。
<蝉折>は鳥羽院の時宋の皇帝から贈られたもので、蝉のような節のついた竹で作られた由緒あるもので、宮が笛の名手でいられたのでご相伝になった。宮はいまは最後と思われたので三井寺の金堂の弥勒菩薩に奉納されたとある。
よく知られているのは敦盛の<青葉>の笛であるが、「平家物語」では敦盛が熊谷次郎直実に討たれたとき身に着けていたのは<小枝(さえだ)>となっている。敦盛の祖父忠盛が鳥羽院から賜った名笛を父経盛からやはり笛の名手であった敦盛に譲られたとある。<小枝>が(こえだ)と(さえだ)の二通りの呼び方で二本の笛があるのが面白い。
須磨寺には、敦盛卿木像(熊谷蓮生坊作)と青葉の笛が展示されていて、青葉の笛の説明がつぎのようにあった。 [ 弘法大師御入唐中 長安青龍寺に於いて天竺の竹を以ってこの笛を作り給ひ 笛を加持遊ばされしところ不思議に三本の枝葉を生す。大師帰朝の後 天皇に献上。天皇青葉の笛と命名。後 平家につたわり敦盛卿の笛の名手にて愛玩。肌身放さずもつ。] 右に青葉の笛、左に細い高麗笛があった。この笛も敦盛所持の笛なのか。
平家の公達は歌・舞・音曲・御所での儀式のしきたりを心得、さらに武芸にも優れていなければならなっかたわけで、これらすべてを兼ね備えられるとしたらスーパースターである。頼朝が鎌倉に幕府を開いた意味もそこにあるのか。
須磨寺にある平敦盛と熊谷直実の像
敦盛を呼び止める熊谷
振りむく敦盛
芭蕉の句碑 (須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇)