国立劇場 12月文楽公演 (2)

『刈萱桑門筑紫いえづと(かるかやどうしんつくしのいえづと)』                     【高野山の段】

石童丸は一人で高野山に登り一人の修行者に会い父の名を伝え尋ねる。その修行者こそ名を改めた父・刈萱道心でしたが刈萱は <『待てしばし、仏前にて誓ひを立てたる恩愛妹背、ここぞ』と思ひ>名乗らず、母親のためにと薬を与え <来た道筋は難所にてくたびれ足では叶うまじ。こちらへ往けば花坂とて平地も同じ事、馬もあり駕籠もありいざいざ立つて往かれよ>と泣く泣く引き返す石童丸の跡をそうっと追うのである。

石童丸の幼さ、刈萱道心の修行者の姿になっても迷う父の子に対する気持ちは、高野山という情景の中で静かに淡々とすすんで行く。

私たちは、大阪難波から南海高野山線で極楽橋駅へ、高野山ケーブルで高野山駅へ、そこからバスで高野山へ登っていったのであるが、石童丸は <いたはしや石童丸、かかる難所をたどたどと心も空に浮き草の根ざしの父は顔知らず、名のみしるべに尋ね往く。>

大夫の語りと太棹の糸に乗って物語の高野山へと導かれていくのである。

『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)』                                                【新口村(にのくちむら)の段】

『傾城恋飛脚』は今回が初めてなのかもしれない。『冥途の飛脚』は【淡路町の段】【封印切の段】【道行相合かご】まで見ている。【新口村の段】は『傾城恋飛脚』で見る事になった。        実話を人形浄瑠璃作品にしたのは近松門左衛門で、その改作に紀海音(きのかいおん)の『傾城三度笠』があり、これらの作品を基にしたのが『傾城恋飛脚』である。(今回学んだ)

歌舞伎では『恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおうらい)』 【封印切】【新口村】となり、こちらは何回も見ている。

『傾城恋飛脚』の【新口村の段】は、公金を横領するかたちとなってしまった大阪の飛脚屋・亀屋の養子・忠兵衛が遊女・梅川と落ち延び忠兵衛の父・孫右衛門との対面と別れの場面である。忠兵衛と梅川は追われる身なので孫右衛門の家に往く事は出来ず、孫右衛門の下働きをしている人の家を尋ね、その家の内で孫右衛門と会う。歌舞伎では外での対面だったので違うなとおもいつつ見ていた。

孫右衛門は氷に足を滑らせて転び鼻緒を切ってしまう。それを梅川が家の内に招き入れすげ替えてくれる。孫右衛門は言葉の様子から息子の恋人・梅川と知る。孫右衛門は養子先の親への義理から息子に会えば訴人しなければならないので息子には会えない。梅川は機転を利かせ、孫右衛門に目隠しをして親子の対面させ、そっと目隠しを外す。再会を果たしてもすぐに別れなくてはならない親子。孫右衛門は二人に裏の道を教え涙ながらに見送るのである。

『冥途の飛脚』では親子は直接会わず、忠兵衛と梅川が捕えられて孫右衛門は対面するかたちと成り、忠兵衛は父に自分の姿を見せたくないので、<面を包んでくだされ>と頼み、忠兵衛が目隠しをして幕となる。

今回の親子の対面は、語りが竹本文字久大夫さん、三味線が野澤錦糸さん。文字久大夫(もじひさだゆう)さんの師匠は、人間国宝の竹本住大夫さんでその相方の錦糸(きんし)さんの三味線だったので、時として住大夫(すみだゆう)さんを思わせるかたりの部分があり思わず床の方を見てしまった。テレビのドキュメントで文字久大夫さんが住大夫さんから何回も駄目だしをだされながら教えを受け、住大夫さんが公演で語るときは床下に位置し学ばれていたのが印象にある。その住大夫さんが、引退された越路大夫さんのところに教えを請いに往かれ、そばには錦糸さんが常にいて伝統芸能を受け継ぐ厳しさを伝えていた。

 

 

 

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