国立劇場 『西行が猫・頼豪が鼠  夢市男伊達競』 (1)

『夢市男伊達競(ゆめのいちおとこだてくらべ)』

芝居の事は後にまわします。なぜなら、岩佐又兵衛さんと会ってしまったのです。どこで。本の1ページ目で。どんな本。「日下開山 明石志賀之助物語」(中村弘著)。

この芝居にも出てくる、初代横綱・明石志賀之助の事を書いた本が国立劇場の売店にあった。相撲は興味が薄いのだが本を手にした。二冊あり厚いのから薄いのへ、その薄いほうの1ページから岩佐又兵衛勝似の名前が飛び込んできた。厚いほうの本篇に対する別冊のようである。明石と又兵衛とが直接関係しているわけでは無いが、その出だしは興味深いものであった。

結論から云うと、明石は陸奥の出羽上山の藩主ご覧相撲に招かれていて、その事を日記に書き綴っていた人がいる。藩主の側近くにいた中村文左衛門尚春でその記録は「上山三家見聞日記」として残っている。

この尚春が又兵衛の三番目の姉とつながりがあるのである。「明石志賀之助物語」によると、又兵衛の父・荒木村重は明智光秀の家臣で織田信長と対立する。城は落城するが村重と次男村基、三女荒木局、又兵衛が難を逃れる。荒木局は50年後老中松平伊豆守や春日局の推挙で大奥にあがり、春日局の下で要職を与えられる。春日局が亡くなると松山局が力を持ち不正事件を起こし松山局は惨罪となり荒木局も巻き込まれ江戸から出羽上山に配流となる。このとき幕府に仕官していた甥の荒木村常(兄村次の子・荒木局が養母)が推挙した村常の友人の遺児・中村文左衛門尚春がお供をし、「上山三家見聞日記」をかくのである。

又兵衛はこの姉の力で福井から将軍家筋の用命をうけ江戸に出て来たのであろう。将軍家光の娘千代姫の婚礼調度品を製作したり、川越東照宮の再建拝殿に三十六歌仙の扁額を奉納する仕事をしている。本によっては伯母の力ともあるが、荒木局が村常の養母からそうなったのかもしれない。又兵衛の姉・村重の三女が荒木局で、春日局とともに大奥で活躍していたとあれば、面白い現象である。

又兵衛は「西行図」も描いている。目も口も優しく笑みを浮かべている。その他平家物語関係では「文覚の乱行図」。ここでは文覚が神護寺修復の勧進で白河法皇の前で暴れる様子を。「俊寛図」では砂浜に取り残された俊寛を小さく描いている。「虎図」は竹に体を巻きつけるようにして牙をむき出し吼えているようであるがなぜか可笑しいのである。

「夢市男伊達競」の筋書きの表紙が鼠の影とそれ見詰めている猫の前身の絵で裏表紙にその原型の絵が載っている円山応挙の「猫」である。芝居に合わせなかなか凝っている。四国金比羅宮・表書院・虎ノ間の虎たちを思い出す。数日前に二回目の対面をしてきたのである。

菊之助さんが美しく作り上げた明石志賀之助やそのほかの芝居のはなしはこの次である。

 

 

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