宇和町・大洲町散策  四国旅(5)

愛媛でふるさとの風景として内子町、大洲町、宇和町に力を入れているようである。内子町は内子座に文楽を観に行き、その時町並みを歩きしっかり江戸から明治にかけての町を楽しんだ。もしかするとその時から町歩きが好きになったのかもしれない。今回は内子町は入っていない。しかし、残念ながらツアーの悲しさで時間が限られ、心密かにもう一度来る事を誓う。

宇和町では、最初に入った「宇和民具館」がその並べ方・展示のし方が綺麗に整頓されていて感心した。この地に残る<五ツ鹿踊り>というのがあって一つだけが女鹿でその頭に赤い鳥居が飾られている。この赤い鳥居は、歌舞伎「夢市男伊達競」の七福神の弁財天の頭にもあり驚いたのであるが、何かいわれがあるのであろうか。

昭和48年まで栄座があり町民の娯楽の場であったらしい。栄座の模型もあり、そこに小さな幟もある。長谷川一夫一座、広澤虎造一座、高田浩吉劇団など。木で作られた上演看板には、市川右太衛門一座や片岡千恵蔵一座もある。演目は長谷川一夫さんが「鷺娘」「恋の勘太郎」、高田浩吉さんが「花嫁の発言」「天狗に拾われた男」「プレゼントアルバム」(歌も歌われたのであろう)、市川右太衛門さんが「旗本退屈男」とある。

シーボルトの娘さんの楠本イネさんが西洋医学を身につけるのもこの町である。シーボルトの弟子である二宮敬作がこの町で開業していたので、イネ13歳から18歳まで医業を手伝いつつ学んだのである。二宮敬作は同じシーボルトの門弟である高野長英をかくまったこともあり、この町は「花心」「長英逃亡」「おらんだおイネ」「ふぉん・しいほるとの娘」など歴史小説の舞台にもなっている。

山田屋まんじゅう本店もあった。突然の出現。

大洲町でのもう一つ突然の出現は「おはなはん」。テレビ小説「おはなはん」のロケ地でおはなはん通りがある。大洲で見学したのは「臥龍山荘」のみ。そこ一つで時間を取られてしまった。臥龍院、知止庵、不老庵の三建築からなり桂離宮、修学院離宮などを参考に選り抜きの名工たちによって10年かけて作られている。熱心な説明でまだ話たりなさそうであった。何も聞かずにぼーっとしているか、説明を聞いた後でぼーっとしている時間があるのがベストであるが、それは望めない。

来なければこんな町があるのも気がつかないわけで、もう一度ゆっくり歩きたい町としておく。

 

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