勝海舟 『氷川清話』

佐久間象山が勝海舟の妹婿である。随分と面白い繋がりになった。そこで勝海舟の『氷川清話』を手にし開いてみたら頭から出てきた。

「おれが海舟という号をつけたのは、(佐久間)象山の書いた「海舟書屋(かいしゅうしょおく)」という額がよくできていたから、それで思いついたのである。」

佐久間象山その人については「佐久間象山は、物識りだったョ。見識も多少もっていたよ。しかしどうも法螺吹きで困るよ。あんな男を実際の局に当たらしたらどうだろうか・・・。何とも保証はできないノー。」

横井小楠(この人の事は詳しくは分からないのであるが海舟は買っている)と比較し「佐久間の方はまるで反対で、顔つきからしてすでに一種奇妙なのに、平生緞子の羽織に、古代様の袴をはいて、いかにもおれは天下の師だというように、厳然と構えこんで、元来覇気の強い男だから、漢学者が来ると洋学をもっておどしつけ、洋学者が来ると漢学をもっておどしつけ、ちょっと書生がたずねて来ても、じきに叱りとばすというふうでどうにも始末にいけなかった。」としている。

海舟は自分の価値感で直感的に人を判断することに長けているようで、様々な人の人物評を簡潔に自分の好き嫌いも含めて書いている。海舟は<動>の人である。知識だけあって実践の伴わない人は優秀とは思っていない。象山は<知>の人で同じ<知>でも横井小楠の方が上でこれに西郷隆盛の<動>が加わればこわいことになると。海舟は幕府に抱えられているからこわいこととは幕府が潰れるという事である。芝、田町の薩摩屋敷で勝と西郷の会談が行われ徳川氏の滅亡は免れたのではあるが、その時の西郷の様子などは、非常に読みやすい。『氷川清話』じたいが「話」で、話し言葉なのである。

勝は自分は弟子は持たないとしている。なぜなら弟子がいると祭り上げられるからで、西郷がそうであるという。しかし、「おれは西郷のように、これと情死するだけの親切はないから、何か別の手段をとるョ。」といっている。自分はずるいからそのような立場になってもそれを回避するであろうと言っているようにも取れる。

驚いたことに、西郷と豚姫のことも書かれている。これは歌舞伎演目に「西郷と豚姫」というのがあるのであるが勝は次のように話している。

「西郷は、どうも人にわからないところがあったョ。大きな人間ほどそんなもので・・・小さい奴なら、どんなにしたってすぐ肚の底まで見えてしまうが、大きい奴になるとそうでないノー。例の豚姫の話があるだろう。豚姫というのは京都の祇園で名高い・・・(略)西郷と関係ができてから名高くなったのだが・・・豚の如く肥えていたから、豚姫と称せられた茶屋の仲居だ。この仲居が、ひどく西郷にほれて、西郷もまたこの仲居を愛していたのョ。しかし今の奴等が、茶屋女と、くっつくのとはわけが違っているョ。どうもいうにいわれぬ善いところがあったのだ。これはもとより一つの私事に過ぎないけれど、大体がまずこんなふうに常人と違って、よほど大きくできていたのサ。」

 

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