池田満寿夫の青

再放送のテレビ番組に画家の池田満寿夫さんがでていた。福島県裏磐梯の五色沼の青色の謎を訪ねる旅であった。かつて五色沼は近くのユースホステルに泊まり、散策したことがあるので沼ごとの青色が違っていた記憶は残っている。

池田さんは五色沼の青色がどうして出来るのか、その色を出そうとしても出し切れないと。スタッフは水中に潜り調査した。水の中に白いもやがある。池田さんはそれは地下から上に向かう何かの力のような気がすると。水源をたどる。五色沼の源とされる沼の水。途中の湿原の水。それらを合わせると化学反応を起こし白いもやができる。白いもやの粒子に太陽の光が当たり青く見える。その粒子の大きさによって様々な青ができるのである。天然の絵の具である。

池田さんは語る。芸術は表面的である。自然はもっと深い。たとえば陶器でその色を出そうとしてもそれは表面で見えるもので、自然は沼の色はいくつもの水の層に光があたって屈折した色で、もっと深い色となる。

池田さんの<色>が美しいと思ったのは長野市松代の「池田満寿夫美術館」であった。それまで池田さんの<色>に対して 強く魅かれることはなかった。展示物と展示方法の良さもあった。心地よい暖かさを感じた。そもそも「池田満寿夫美術館」があるのも知らなかった。長野で一日どこを廻ろうかと観光案内に入ったら、他のご婦人が先に同じように尋ねていて、案内の人が松代はどうか、バスで行けると案内している。この話にのろうと、バスの時間を聞くと急げば間に合うと言われ、松代を散策することとなる。松代に着き早めの昼食を取るべき食堂へ。観光案内地図を広げると、「池田満寿夫美術館」がある。そこを最終目的地とする。

松代には松代城があり、1560年に武田信玄が上杉謙信の攻撃に備え、山本勘助に命じて築城。1622年に真田信之が上田城から初代松代藩主として移って以来、真田氏10代が城主として続く。真田家と関係してたのだ。

食堂の壁に松井須磨子関連の写真が。食堂のご主人に聞くと松井須磨子生誕の地といわれる。古い町で何かありそうとは思ったが戦国時代から明治、現代まであり過ぎるくらいある町であった。大河ドラマ「八重の桜」に出てきた佐久間象山も松代の生まれで、象山神社や記念館、高杉晋作などともひそかに会った建物・高義亭もある。松代に行った時は象山はよくわかっていないので記念館はパスしている。

自転車を借りて廻り最期に「池田満寿夫美術館」で青だけではなく<色>を楽しんだのである。散策の疲れから思考能力も低下しているので、ただ<色>を楽しんだ。その時のことが、テレビ番組と重なり、一人の画家の<色>を楽しめた時間の心地よさを思い出していた。画家は悪戦苦闘して色を捜したのであろう。こちらはその苦闘をあちらに置いて心地よき時間を受け入れる。

 

 

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