永井荷風 『断腸亭日乗』

2012年11月6日<浅草紹介のお助け>で下記のように記した。

【フランス座に関しては井上ひさしさんの講演でも聞いたことがある。警察沙汰の時の一応脚本家としての責任で警察で泊まる役目の話。一度だけ永井荷風さんにあっていて、照明係りをしていて椅子に座っていた老人が邪魔でどけてもらいどうもあれが荷風さんだったらしいとか、荷風さんが踊り子さんに差し入れられたカレーを芸人さんが少し頂戴してそれを小麦粉かなにかで量を増やして食べていたなど例のごとく軽妙洒脱に話してくれた。ただそれだけではなく、荷風の日記から日常からみた戦争もしっかり語られていた。】 (一度だけ永井荷風さんにあっていて、照明係りをしていて椅子に座っていた老人が邪魔でどけてもらいどうもあれが荷風さんだったらしいとか→この部分は8月24日『永井荷風』(3)2013年8月24日 | 悠草庵の手習 (suocean.com) で訂正しています)

作家達の戦中の記録として永井荷風さんの日記『断腸亭日乗』、井上ひさしさんの話されていた箇所が知りたくなった。それは、荷風さんが昭和20年7月末に東京を離れ岡山から勝山の谷崎潤一郎さんの所に寄った時の事である。

岡山から勝山に行く列車の中。 「この媼(おうな)も勝山に行くよし。弁当をひらき馬鈴薯、小麦粉、南瓜を煮てつきまぜたる物をくれたれば一片をを取りて口にするに味案外に佳し。」

8月13日、勝山の谷崎さんの仮住まい屋にて、 「佃煮むすびを恵まる。」 宿に案内され、 「白米は谷崎君方より届けしもの。膳に豆腐汁。渓流に産する小魚三尾。胡瓜もみあり。目下容易には口にはしがたき珍味なり。」 広島が焦土と化し、この地の配給も停止し、他郷からくる避難民は殆ど食料を得ることに困窮している。(原爆の記述がないので詳しい事は知らないのであろうか)

8月14日、 「事情既にかくの如くなれば長く氏の厄介にもなり難し。」 その夜 「谷崎氏方より使いの人来り津山の町より牛肉を買ひたれば来れと言ふ。急ぎ赴くに日本酒も亦あたゝめられたり。」

8月15日、 「宿屋の朝飯。鶏卵、玉葱の味噌汁。ハヤ附焼、茄子糠漬けなり。これも今の世にては八百善(やおぜん)の料理を食する心地なり。」 終戦を知る。

8月16日には奈良にいる。

8月17日、 「朝稀粥(きしゅく)を啜り(すすり)昼と夕とには粥に野菜を煮込み飢えを凌ぐ。唯空襲警報をきかざることを以て無上の至福となすのみ。」

『断腸亭日乗』は日常のことを細かく書いている。井上さんは、その中の食べ物のことを拾っていくだけでも戦争中の生活が分かると話されていた。谷崎さんの接待は谷崎さんらしいと思った。ある面では居づらい事ともなるであろうが。荷風さんは自分の動きに合わせて、その周辺の風景、接した人々、物の値段、食べた物などを、1917年(大正6)から1959年(昭和34)まで書き綴っていたのである。

私の所持している『断腸亭日乗』は(抄)とあり、ところどころの抜粋であるが、日記の書きようはわかる。荷風さんが、大正9年(1920)から昭和20年(1945)まで独居していた、木造ペンキ塗り洋風二階建ての家<偏奇館>を昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失している。その様子も詳細に記録している。この<偏奇館>跡へは、ある町歩きの会で行ったことがある。六本木一丁目で違う建物が建てられていた。

昭和20年10月には、荷風さんは熱海で、雨宿りした旅館の道を隔てた前に<金色夜叉の碑>を見ている。 「道を隔てゝ一老松あり。金色夜叉の碑を建てたり。小栗風葉の句を刻む。」私の『金色夜叉』の読書は読む速さが遅々としていて、なかなか進まない。少し気張らねば。

もう少し付け加えるなら、<金色夜叉の碑>から荷風さんは次の様に書いている。 「これ逗子の海岸に不如帰の碑を見ると同じく、わが国民衆の趣味を窺ひ(うかがい)知らしむるものなり。予はその是非を論ぜむと欲するも、到底(とうてい)能ふべからざるを知る。唯一種不可思議の感に打たるゝのみ。」 この様に 、自分の思いや感慨なども加えている。

巖谷大四さんは、尾崎紅葉さんの未亡人が重体となり、生活に困窮していることを志賀直哉さんに話したところ、志賀さんと広津和郎さんが発起人となってくれ見舞金を集めることになり、一番先に荷風さんを訪ねるように言われる。荷風さんはにこにこしながらその趣意書を目読し、「一金参万円也 永井壮吉」と書き、その上に手の切れるような百円札を三万円のせ、「よろしく、たのみます」と丁寧に言われた。ある人から「永井先生からお金を引き出すことに成功したのは、あなたがはじめてじゃないですか?」と言われている。

志賀さんが一番先に荷風さんを訪ねるように言ったことなど、文学者の思惑と交流は、その文学的個性と相まってニヤニヤしてしまう部分である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です