十月 歌舞伎座『義経千本桜』 ・ 国立劇場『一谷嫩軍記』『春興鏡獅子』 (1)

今月は大御所達の登場である。歌舞伎での義経は控えめである。考えてみると不思議である。兄頼朝に追われる身になってからの義経を描いていて、あくまでも控えめな気品ある義経である。『勧進帳』などは、ずうっと控えている。動きの少ない中で、いかに気品を出すかが義経役者の芸である。『勧進帳』は能を取りれているが。今回は鳥居前は菊之助さん、国立は友右衛門さんで押さえられていたが、なんといっても、梅玉さんであろう。

『一谷嫩軍記』の陣門で熊谷直実の子・小次郎が花道から走り出てくる。梅玉さんが小次郎よりも数倍の年齢であるのに小次郎で出られたときがあった。年齢に関係なく小次郎であった。その走り方、若者のはやる心の表し方、これが歌舞伎の芸なのだと思わされた。今回は染五郎さんであったが、その形は成りきれていなかった。そこが歌舞伎の不思議なところなのである。

義経は天皇から初音の鼓を賜る。この鼓を義経が打てば、兄頼朝を討つことを意味するので、義経は自分の後を追ってきた静に形見として与え、ついて来ることを禁じる。その場所が伏見稲荷で狐と関連する場所でもある。この鼓の皮となった狐の子供が親を慕い、静を守る家臣佐藤忠信に成りすますのである。<鳥居前>での弁慶は義経に、鎌倉側の軍兵を殺した事を叱責されオイオイと泣き、忠信も狐が化けていることが分かるような派手な勇壮な姿である。近頃、亀三郎さんと亀寿さんがキラと光始めている。松緑さんもこの年代の舞台を締めている。

<渡海屋><大物浦> 平知盛の義経への復讐劇である。義経たちは九州へ逃れるため渡海屋で舟の出を待っている。死んだはずの知盛は生きていて、舟宿の主人・銀平となって、義経主従が船出したなら殺そうと待ち構えていた。知盛はさらに、死んだ知盛の亡霊がやったことにするため銀平から知盛に変わるときは白装束である。この知盛は吉右衛門さんの当たり役で、世話的銀平の柔らかさから亡霊知盛へ。しかし、義経を討つこと叶わず失敗に終わり、悲壮感と平家一族の悔恨とを碇を体に巻きつけて海に身を投げ出す場面は、今この場で平家のあらゆる感情をこれ以上この世に浮かび上がらせはしないと、全てを海に沈め、同時に鎮めるほどの迫力がある。いつもながらの大きさである。安徳帝を義経が守る約束をしてくれ、銀平の妻・典侍局(すけのつぼね)も先に自害。芝雀さんも舟宿の女房と帝の乳人との変化を上手く出していた。

『熊谷陣屋』の熊谷の妻・相模の魁春さんもやはり安定している。こちらは武士の妻であるが、思いもかけなかった自分の息子の首を突然見せられるのである。女は陣屋に来てはいけないと言われていながら、息子小次郎の身が心配で来てしまう。夫からは、敦盛の首を討ったと聞き、涙しつつも一縷の安堵の気持ちはあったであろう。それが一変する。熊谷も敦盛の話をきかせつつ、若者の戦での悲壮の死を伝え、事実が分かった時の妻の動揺を押さえたいとおもったであろう。その辺の幸四郎さんの押さえも大きく、自分以外の人間全てに悟られまいとする心のうちが、いつもより息つぎが穏やかでかえってよく伝わってきた。

今回、歌舞伎座と国立を一緒にしたのは、見ていて戦という中での人間の嘆き悲しみが、どちら側も同じであったからである。主従関係。敵味方。どちらにも抜き差しならぬ悲劇の塊である。

 

十月 歌舞伎座『義経千本桜』 ・ 国立劇場『一谷嫩軍記』『春興鏡獅子』 (1)」への1件のフィードバック

  1. 国立劇場伝統芸能情報館で「勧進帳の世界」の企画展示をしている。弁慶・義経の衣装なども展示しており、富樫の扇の柄を間近でみた。シンプルだが金に映える青系の緑が美しい。シアタースペースでの、映像「歌舞伎の演技ー『一谷嫩軍記』によるー」の団十郎さんの芸談から考え無かった熊谷の姿を見た。<義経は熊谷の自分の子を犠牲にしろとは言ってない。熊谷は他の子を犠牲に出来なかったのである。>そうなると義経の小次郎の首を見たときの驚きと感慨も違ってくる。<主従は三世です。>人間性が色濃くなる。

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