十月 歌舞伎座『義経千本桜』 ・ 国立劇場『一谷嫩軍記』『春興鏡獅子』 (2)

内田康夫さんの推理小説に『風葬の城』がある。内田さんの推理小説に手がいくのは、行った場所、行きたいと思っている場所の名が出てくるからである。<風葬>は会津を思い出させた。戊申戦争では、死者達の埋葬を許されなかったのである。小説を読んだ後、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 33 白河・会津のみち』を読む。義経のこと、佐藤継信、忠信兄弟のことも出てきて芝居にエッセンスを振りかけてくれた。

『道行初音旅』は『吉野山』ともいわれる舞踏である。『大物浦』が重々しい心理劇も担っているので、気分を変え、京から満開の吉野山への静と忠信(実は狐)の道行である。藤十郎さんと菊五郎さんがおおらかに踊られる。義経は大物浦から九州にむかうが、吉野に逃れてくる。その義経のもとへ行こうとしているのである。ここで忠信の兄継信が屋島で、平教経の放った矢を義経の身代わりとなって受けて死ぬ、戦話も展開される。あくまでも踊りの形で見ている側もそうであったかとうなずく感覚である。江戸時代の人は平家物語など熟知していて、そうそうそうなのよ!の感覚だったのであろう。

『木の実』『小金吾討死』『すし屋』は、どんでん返しの庶民の悲哀となる。武士の話に庶民を主人公とする話もきちんと入れるところが、何とも心にくいところである。奈良の下市村のすし屋の弥左衛門は平維盛を奉公人弥助としてかくまっている。勘当されているすし屋の息子・いがみの権太は、維盛を尋ねてきた妻・若葉の内侍、若君の六台、家来の小金吾からお金をだまし取り、若葉の内侍親子と維盛の首を頼朝の家臣梶原景時に差し出してしまう。

それを知った、父親の弥左衛門は息子・いがみの権太を刺してしまう。実は、差し出した維盛の首は家来・小金吾の首で、若葉の内侍親子は、自分の妻と息子なのである。仁左衛門さんは今回は、要所ごとに自分の心の内を表にだした。自分の妻と子供を差し出すところは、ここは捕り手の松明の煙が目に染みると涙を隠すくらいであったが、その前にも辛さを表情にだし、花道を去る妻子にすまないという気持ちを出している。これで維盛親子を助けられる。親父に親孝行が出来ると喜んで「とっつあん!」と振り向いた時、事実が分からない弥左衛門は権太を刺すのである。ここから権太の嘆きが始まるのであるが、悪事を企む権太と、情を見せる権太の入れ代わりが、一人の人間の表裏の切なさとなるような変わり方であった。

『熊谷陣屋』で義経が<一枝を切らば一指を切るべし>と敦盛を助けろと熊谷に命じたように、梶原が褒美に与えた陣羽織には維盛を出家させるようにとの暗示が隠されていた。どちらも死んだという風聞は必要なのである。生かすとなると誰かが犠牲にならなくてはならない。そのあたりも組織の非情さがうかがえる。

奈良から観光バスで吉野に向かう時、ガイドさんが「この先にいがみの権太の住んでいた場所があります」と説明してくれた。モデルとなるようないがみの権太が実際にいたらしい。下市村あたりだったのであろう。それにちなんだすし屋さんもあるらしい。驚いた。

『川連法眼館』は狐忠信の畜生でありながら、親を思う情愛を見せる芝居である。知盛が吉衛門さん、義経を梅玉さん、静御前を藤十郎さん、いがみの権太を仁左衛門さん、狐忠信を菊五郎さんと、『通し狂言 義経千本桜』として通したわけである。『川連法眼館』は年齢的にみて菊五郎さんには負担過ぎる動きだったのではないだろうか。今回動きに捉われて情愛が薄くなったのが残念であった。飛び込んだりとかの動きを少なくしても、情愛がでれば、それはそれで芝居として面白いと思う。忠信として、団蔵さんと権十郎さんに挟まれ引っ込まれる時の立派さからすると、違う方法もあったのではと考えてしまった。団蔵さんと権十郎さんも出は少ないがきちんと役を作られるので出が楽しみである。

国立の『春興鏡獅子』は染五郎さん。美しい品のある弥生である。もう少し身体に貯める部分も欲しかった。獅子はシャープで切れの良さが魅力的であった。

 

 

 

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