歌舞伎座 『鳳凰祭3月大歌舞伎』 (加賀鳶)

<夜の部>を先に観たのでそちらからにするが、ベテラン大幹部の濃い舞台であった。

「加賀鳶」は、道玄の幸四郎さんの動きが面白く、身体と足の動きで、小悪党でありながら変化に飛んだふてぶてしさや、引っ込みかたなど、堪能させてもらった。糸に乗り、赤門(東大赤門)前の暗闇での捕り手との動きも飽きさせなかった。

湯島天神で、加賀藩(現東大が加賀藩の上屋敷)お抱えの加賀鳶と旗本配下の定火消し(この辺は武家屋敷があったので町火消しではなくとのことのようですが?)の間で喧嘩が起こり、加賀鳶が本郷の木戸に押しだしている。町の人は木戸を閉めてその間からことの成り行きを覗いている。これも江戸の風物の一つであろう。河竹黙阿弥作で明治19年が初演であるが、江戸を描いている。ところが地名は現代も残っているという嬉しい芝居である。加賀鳶の頭梅吉(幸四郎)と松蔵(梅玉)が血気盛んな鳶達の間に入り引き揚げさせるのである。この場面は役者さん皆さん気分が良いと思う。観ているほうもスカッとする。

次の場は一転薄暗い御茶ノ水の土手である。按摩の道玄が旅の途中で具合の悪くなった旅人から按摩治療を施しながら殺害し懐のお金を奪うのである。道玄の親切そうなところから悪に変わり、殺して花道までの盲目ではないリズミカルな動きが不気味でもある。そこで道玄は煙草入れを落としそれを、松蔵に拾われる。加賀鳶の時の梅吉の堂々とした様と道玄の違いが二役の幸四郎さんの見せ場である。勢揃い後の最後に花道を引っ込む梅玉さんの歩き方も何んとも粋である。

道玄の住む長屋が、菊坂である。菊坂と言えば樋口一葉やその後の文学者達と縁の深い坂である。(この芝居を観てたら歩きたくなり散策したので、それは別枠で。平成、昭和、大正、明治、江戸とタイムスリップしていく。)

道玄は、目の不自由な女房を邪魔者扱いし、情婦で按摩のお兼(秀太郎)と質屋の伊勢屋へゆすりにゆく。姪のお朝が奉公しているお店で、そこの主人がお朝にお金を渡したのはわけあっての事と、お朝がそのことが原因で自殺するという贋の書き置きを持参するのである。ところが、松蔵に、御茶ノ水で落とした煙草入れを突き付けられ、これは不味いと道玄は退散するのである。ここまでの、弱い者へはいじめぬき、強いものには首を引っ込める悪党道玄が、お兼を加え緩急自在につくられる。

ゆすりたかりで生きていこうとする人間と、間に入りその悪から上手く手を引かせる仲介役のいた江戸の粋な姿でもある。

最後にはお縄となるが、その捕り物も暗闇の中でみせる人の動きの可笑しさを芝居としている砕け方もご愛嬌である。

それにしても、<スカイツリー>は好いが、<業平橋駅>を<スカイツリー駅>にしてしまう前にこの芝居を観て欲しかったものである。

 

 

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