歌舞伎座 『鳳凰祭3月大歌舞伎』 (勧進帳)

『勧進帳』ではあるが、柿葺落四月大歌舞伎 (六) で筋は書いたので、ここでは印象に残ったことを書く。キーワードは金剛杖である。

弁慶が吉右衛門さん。それを迎える富樫が菊五郎さん。義経が藤十郎さん。正三角形の迫力である。観ているほうも力が入った。弁慶が主人である義経を打擲し、その心を察し疑いは晴れたと富樫が告げる。弁慶がふーっと息を抜き右手に持った金剛杖がその気持ちを現し、静かに手を滑り、トンと地を着いた途端、こちらもホッと一瞬力が抜けたのである。その時この金剛杖を使う弁慶に見入っていたのに気が付いた。

この金剛杖は、義経が花道の出から所持していて、花道での義経のとる形と共に義経を引き立てる道具である。番卒があの強力(ごうりき)が義経に似ていると富樫に進言してから、この金剛杖は今度は、弁慶と共に活躍する。弁慶は何も書かれていない勧進帳を読み上げ、山伏として上手く切り抜けられると思った途端の富樫の呼び止めである。弁慶は、咄嗟に判断する。強力が義経に似ていると云うだけで、こちらは迷惑をかけられ、なんという迷惑千万な強力かと、義経から金剛杖をとりあげ、それで義経を打擲するのである。四天王(歌六、又五郎、扇雀、東蔵)は、これまでかと打って出ようとするのを、弁慶は、金剛杖で強く床板を突き激しい音でそれを押さえる。さらに金剛杖は四天王を押さえこみ、弁慶を先頭に、富樫達との押しつ引きつとなる。

弁慶は自分の義経に対する非礼に涙すると、義経は弁慶に手を差し伸べる。今回藤十郎さんの手は、袖口の中であった。一度、芝翫さんが義経をされた時、手を見せない形をとると言われたような気がする。記憶違いでなければ、その形なのかも知れない。この時金剛杖は無い。義経が、弁慶の心は私の中にあって、あの杖はもう必要無いのだよと言っているようである。

内容が前後するが、この主従の関係を、富樫は自分の中の何かが反応する。そこを突くように、弁慶は、まだ疑いが晴れないならこの強力を打ち殺そうかと金剛杖を持ち上げて迫る。富樫はその必要は無い、疑い晴れたと告げる。その温情の気持ちに対し、弁慶は花道で姿なき富樫に頭を下げるのである。その正三角形が美しく見えたのである。そして、花道の出の後で、金剛杖を持ち身体を傾ける義経の形の美しさには意味があるのだと感じた。

緊張の続く場面の中で、豪快にお酒を飲み、ゆとりを見せ機嫌よく舞う弁慶。油断させつつ主従を先に行かせる。その時、義経は金剛杖は持たず足早に花道を立ち去る。観客拍手。この後の富樫に対する観客の拍手。待つような終わるのが勿体ないような弁慶への拍手。飛六法。この芝居は終わるとき、観客は参加していたと感じている。

吉右衛門さんの台詞がいつもより高音のトーンが落ちていたように受けたが、それと、菊五郎さんの落ち着きのある富樫と合い、ふくよかな品のあると藤十郎さんと対峙し、より一層大きな弁慶となった。

今回は思い出す場面の、金剛杖の参加でもあり、混線気味である。

 

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