映画監督 ☆川島雄三☆ 『青べか物語』『縞の背広の親分衆』

森繁久彌さんが川島監督の作品で出演されているのは、川島監督が松竹、日活、東宝(東京映画)と移られた東宝作品である。『暖簾』(映画 『暖簾』)『グラマ島の誘惑』『島の背広の親分衆』『青べか物語』『喜劇・とんかつ一代』である。『グラマ島の誘惑』だけを見残してしまった。

『島の背広の親分衆』『喜劇・とんかつ一代』は喜劇である。『青べか物語』は山本周五郎さん原作の映画化でやっと見ることができた。千葉県浦安町(現浦安市)に住んだことのある山本さんがその町のことを書き、映画になったというので、浦安の人々は映画館に集まった。しかし、これは浦安ではないといって立ち去った人が多かったという映画である。地下鉄東西線の浦安から『青べか物語』の先生が住んで居たという蒸気河岸を歩いたことがあるが、その面影はない。浦安市郷土博物館のほうに、移築された舟宿や民家が<浦安の町>として残されていて、海苔や貝の採取で活躍した<べか舟>や漁の道具も展示されている。山本周五郎さんがよくいった居酒屋などもある。

『青べか物語』は、少し精神的に疲れた小説家がふらっとバスでこの町に降りるのである。役柄からして、森繁さんは町の人々の聞き役である。大きなリアクションはない。この町の人々の生命力溢れる饒舌と、地域の出来事の些細なことから私的なことまでに関心を示す活力に先生は、旅人として少し係り再び去っていく。精神的疲労の回復になったのかどうかは判らない。この町は先生にとって、時には不快でもあり、困った現象でもあり、お節介でもあった。町の人々は、固定化した見方に新しい見方を求めて先生に自分の心の底にある想いを話す。間借りしている夫婦。妻は足が不自由でそれを献身的に介助する夫。乞食をして赤ん坊の妹を育てる少女。古くなった汽船を川に浮かべそこに住む元船長。この船長の話す恋物語の風景は、撮影の岡崎宏三さんの力の入ったところであろう。猥雑な町の風景とは対象的である。

川島監督は「印象派でやろう」といったそうだ。始まりは航空映像と浦安を紹介する森繁さんのナレーションから入る。<青べか>は、青く塗られたべか舟のことで、先ず先生はこの<青べか>を押し付けられ買う事となる。この舟に横たわり本を読み、昼寝をしている間に海の干満によって舟が、元の場所に戻っている長閑さは、ひと時、先生も癒されたようである。先生の去ったあと、先生は、町の人の噂話の種になっているであろうか。

原作・山本周五郎/脚本・新藤兼人/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、池内淳子、左幸子、乙羽信子、フランキー堺、山茶花究、東野英次郎、中村メイ子、加藤武、左卜全、桂小金治

『縞の背広の親分衆』は、タイトルから森繁さんの浪花節調の歌が流れる。仁義を切る時、森の石松の末裔と語る。マキノ雅弘監督の『次郎長三国志』を見ている人はニヤリとする。この映画での森繁さんの森の石松は追随を許さぬくらいのできである。

亡くなった兄貴分の親分の女房の淡島千景さんに向かって仁義を切るのであるが、それが長いのである。川島監督が色々考えて長くしたのであろう。所々、クス、クスとしながら聞いていた。それに対し、返す淡島さんの仁義の切りかたもふわり花がある。この映画のセットはバックが絵であったりしてあれあれと思ったがそれほど重要な問題でもない。役者さんの動きを見せる映画である。高速道路建設のため、ヤクザの信仰しているお狸様の社を取り除けば道路は真っ直ぐに建設され、迂回しなくて済むので、それを退ける退けないの話がからむ。

森繁さん側が、フランキー堺さんに桂小金治さん、淡島さん。反対側が、有島一郎さん、西村晃さん、ジェリー藤尾さん。淡島さんの義理の娘に団令子さんで、この人は独自の動きをする。その交差の中で、よく皆さん動き回る。筋よりも、役者さんがどう動くのか見ているのが楽しい。フランキー堺さんの小物の取り扱いかたが楽しい。川島監督は、身体に音楽性のある人を使うのが上手で、喜劇には、それが必要条件と考えられていたように思う。各自のリズム感を科白や動きで引き出し違う人と組み合わせ、その間合やフェイントの掛け合いで見る者に可笑しさを伝導していく。さらに、繰り返しの可笑しさ。その背景に高度成長の社会の流れが庶民の生活の中に入り込むと社会派であれば、亀裂を描くが、川島監督はあえてそれを、笑いにしてしまう。

だから、ヤクザという設定でも、恰好よくないのである。殺したと思って海外に逃亡し、隠れつつ帰ってきて見れば、殺していたはずの相手は、道路公団の副総裁になっていたりする。あれっ、道路公団のトップは<総裁>と呼ぶのかと、今まで気にしなかった事が気になる。多少もめてくれた方が予算が取れると利用されたりもする。その辺のパロディ化も笑える。喜劇は何かがあって笑うのであるから、これもそのうちの一つなのかと匂わせてくれなければ、ただのドタバタ劇である。笑いの中にはその人の何かに向かう一生懸命さが含まれる。

森繁さんは、姉さんの淡島さんを助ける為に一生懸命で、フランキー堺さんは、団さんの心を掴むために一生懸命である。あちら様は儲けることに一生懸命で、どちらさまも大義名分はおまけである。森繁さん、フランキー堺さん、淡島さんが縞柄の背広とスーツで、兄貴分の親分のお墓にお参りするのが、映画のタイトルを裏切らない。

原作・八住利雄/脚本・柳沢類寿/撮影・岡崎宏三/出演・森繁久彌、フランキー堺、淡島千景、団令子、有島一郎、桂小金冶、ジェリー藤尾、藤間紫、西村晃、渥美清

 

 

映画監督 ☆川島雄三☆ 『青べか物語』『縞の背広の親分衆』」への1件のフィードバック

  1. 桂小金治さんが亡くなられた。小金治さんが80代になって初めて落語会の舞台で話を聞く機会を得た。映画やテレビでの江戸っ子の話し方そのもので、心地よいリズム感であった。

    子供のころ公共のトイレを使ったら汚れていて、そのことを父親に話したら、「それでお前は次の人のために、きれいにして出てきたのか。」といわれ、それが、ボランティアの原点かもしれないと話されていた。

    お仕着せのない軽さのある話し方で、落語はされなかったが、この江戸弁で落語を堪能したかったと思ったものである。

    今度生まれ変わられたときは、是非、落語の江戸弁の花弁をまき散らしていただきたい。 合掌。

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