歌舞伎座 八月納涼歌舞伎『たぬき』

『たぬき』といえば、二つ思い浮かぶ。一つは明治、大正、昭和に活躍した女流音楽師・立花家橘之助をモデルとした榎本滋民さん作品で、山田五十鈴さんの代表作である。そしてもう一つが、今回の大佛次郎さんの作品である。

柏屋の養子・金兵衛は何の手違いか死んだとされ葬式を出されてしまう。江戸は<ころり>が流行り、焼き場は順番待ち。そのことが幸いし、金兵衛は焼かれる前に息を吹き返す。驚く金兵衛。しかし、落ち着いて考えると、死んだことにして、女房に邪けんにされる養子の立場より妾のお染と楽しく暮らそうと思い立つ。ところが、さぞ悲しんでいると思ったお染を訪ねてみれば、お染には情人・狭山三五郎がいた。お染のもとに預けておいたお金をそっと持ち出す。

一年後、金兵衛は商売に成功し、甲州屋長兵衛と名前を変え仕事仲間と芝居茶屋で、お染の兄で太鼓持の蝶作に会う。蝶作は太鼓持という立場以上の欲得があり、お染を通して金兵衛からお金を引き出す算段をしたことがあり、死んだ金兵衛とそっくりの長兵衛に会いドギマギしてしまう。長兵衛は、ジワリジワリと冗談とも本音ともとれる言葉を発する。長兵衛が実は金兵衛と知った蝶作は「旦那のほうがおおだぬきだ。」という。通りがけの境内では、見世物小屋からたぬきが逃げたと騒いでいる。そこでお染と会うが金兵衛はもうお染に対し何の感情もなかった。

何を思ったか金兵衛は蝶作に柏屋の妻子を呼んで来てほしいと頼む。一人歩き始めたところを、女中に連れられた子供が金兵衛をみて、「ぼくのちゃんだ。」とまわらぬ口でいう。女中は相手にしないが、子供はまたいう。「ぼくのちゃんだ。」金兵衛の息子は、女中に手を引かれつつもじっと父を見つめ花道を去っていく。金兵衛はそれを見て、子供は化かせないと家に向かうのである。

金兵衛の三津五郎さんは、焼き場での隠亡と語らう時、自分の異常な体験、喜びいさんでお染宅へ、人の裏を見た失望、装う事による快感、次第に違う意味での空しさ、そして、息子によって素に戻れた自分。その心理的流れを実直に表現された。

勘太郎さんは、太鼓持でありながらもずる賢さも兼ね備えた人物像が弱かった。七之助さんもさらさらし過ぎて情人を持ちつつ金兵衛を騙している女の味が薄い。こちらが<たぬき>で金兵衛を<おおだぬき>にする張本人達なのだから、もう少し色付けが欲しい。

化けの皮を剥いだ七緒八さんに軍配あり。

大佛次郎さんの作品には、一度、違う世界、仲間から外れた孤独感を体験した者を見つめる視線がある。ねこの大好きな大佛さんが子供のために描かれた『スイッチョねこ』の白吉も、口の中に飛び込んだ虫のスイッチョを呑み込んでしまい、お腹の中でその虫が「スーイッチョ!」と鳴き続け、仲間外れになってしまうのである。ところが、夜の庭の木陰で静かにしていると、そこにねこがいるとは思わず、ほかの虫たちも声をそろえてうたいつづけるのである。「ですから、白ねこは、どこへ行っても美しい虫の声につつまれていました。」冬を目の前にして、お腹の中のスイッチョもなかなくなり、白ねこもほかの子ねこたちとひとかたまりになってぐっすり眠る。「白吉も、スイッチョのことを来年の秋がくるまで思い出さないで、あしたは元気に庭をとびまわってあそぶことでしょう。美しい秋晴れの日がつづいています。」

白吉は来年の秋、仲間外れになったことよりも、美しい虫の声に包まれたことをおもいだしてくれると良いが。

 

大佛次郎作/大場正昭演出/柏屋金兵衛(三津五郎)、太鼓持・蝶作(勘九郎)、妾・お染(七之助)、佐山三五郎(獅童)、息子・梅吉(波野七緒八)、女房・おせき(扇雀)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です