歌舞伎座 八月納涼歌舞伎 『信州川中島合戦』

『信州川中島合戦』は、近松門左衛門作で、武田信玄と上杉謙信との争いを描いているが、上杉謙信は長尾輝虎の名に変えている。『信州川中島合戦』の三段目の<輝虎配膳>のみの上演である。武田信玄と上杉謙信を離れても芝居として楽しめる演目である。観ていると同じ近松の作品である『傾城反魂香』の<吃又(どもまた)>が、ふっと浮かぶ。<吃又>の又平も吃音であり、<輝虎配膳>のお勝も吃音である。

お勝は、武田信玄の軍師・山本勘助の妻である。長尾輝虎は、家老・直江山城守の妻・唐衣が山本勘助の妹であるため、勘助を味方にするべく、唐衣に母の越路に会いたいとの手紙を書かせる。母・越路を人質とし、勘助を長尾家に寝返らせる企みである。

越路は嫁のお勝と共に出向いて来る。唐衣は母と兄嫁と対面する。その時、お勝が言葉を発せず筆にて書面で答えるのである。唐衣は、その兄嫁の字をみて、家の宝とするといい、お勝が優れた書の腕を持っている人であることがわかり、さらに吃音であることもわかる。越路は最初から、覚悟の上で息子の敵方に嫁いでいる娘に会いにきており、初対面の婿・直江山城守がもてなしとして将軍家から賜った小袖を贈ろうとするが、その小袖を輝虎が一度着たと聞き古着などいらぬと拒否する。

気まずい雰囲気のおり、膳の用意の声に応じ、膳を持った立派な烏帽子直垂(えぼしひたたれ)姿の男が現れる。輝虎自ら膳を運んできたのである。越路に盃を所望する。越路は、輝虎の腹の内がわかり、膳を足蹴にする。怒った輝虎は刀に手をかける。そこへ、お勝が筝で輝虎の身体を制止し、筝を弾きつつ母の命乞いをするのである。この輝虎とお勝のやりとりが見どころである。輝虎はお勝の必死な健気さに心動かされ越路の無礼を許し、無事返してやるのである。

言葉の不自由なお勝が、息子の為に一歩も引かない姑を必死で守るのである。その方法は、箏の音色に合わせてなら語れるのである。又平が、女房お徳の鼓に合わせて舞いながら語れるのと類似している。あの時は絵が手水鉢を抜け名前を貰った後で、夫婦愛の喜びの後でもある。<輝虎配膳>は、姑を夫に代わって孤軍奮闘で守る嫁である。近松さんの発想には驚いてしまうし新鮮である。

近松のその世界を今回充分に役者さん達は発揮されていた。その中にあって唐衣の児太郎さんが、今までにない落ち着きをみせ、先輩たちにきちんと対応していた。

扇雀さんと萬次郎さんは、女形としての厚みがしっかりされていて、柱となっていた。児太郎さんが自分の打掛の裾で、座っている萬次郎さんの打掛の裾を少し乱してしまった。何かの折りにおそらく扇雀さんあたりが直されるのであろうと思っていたところ、芝居に気を取られているうちに直っていた。芝居の動きからして扇雀さんが直されたのであろう。女形の気配りも芸のうちである。

越路は悠々と、お勝は安堵して花道を去る姿が印象的で、それを唐衣が静かに見送り、戦国時代の女三人のそれぞれの人生が浮かび上がった。

 

近松門左衛門作/長尾輝虎(橋之助)、直江山城守(彌十郎)、唐衣(児太郎)、越路(萬次郎)、お勝(扇雀)

 

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