国立劇場 未完の『伊賀越道中双六』と媚薬

仇討となれば国立劇場の『伊賀越道中』とこなければならないのであるが、未完である。なぜかといえば、前の方の席で観たため、役者さんの動きはよくわかるのであるが、物語性が飛んでしまっている。もう少し離れて全体を見なければダメである。というわけで、後日、再度観る事にしているので、その時はしっかりと捉えたいと思っている。

<岡崎>の場面は、40数年振りの上演ということである。かなり、暗い場面であるが、吉右衛門さん、歌六さん、芝雀さん、東蔵さんのぶつかり合いがやはり良い。錦之助さんの悪役、又五郎さんの道化役が板についている。

若い役者は良い席で観た方が良いと言われた人がいるが、確かに、演じる方の手の先から足の先までどう動かしているかを観るには近くのほうが勉強になると思った。こちらは、役者になるわけでもないので、その動きが物語性よりも先行してちょっと仕切り直しである。先に物語性を受けて、役者さんの動きを再確認するほうが良かったようである。

昨日は歌舞伎学会の研究発表やトーク、朗読、シンポジウムがあった。

都合で聞けなかったのであるが、研究発表に「<新派復興>を考える ー 瀬戸英一「二筋道」と新派の昭和初年代」(発表者・赤井紀美)というのがあった。『空よりの声ー私の川口松太郎』(若城希伊子著)に、「二筋道」が大成功で花柳章太郎さんは人気絶頂であったとある。そして、瀬戸英一さんが亡くなった時、花柳さんは、通夜の席で泣き、「しっかりしてくれよ。瀬戸が死んじゃたんだよ。俺ももう四十だ。ぐずぐずしてはいられない。お前だって同じだぞ。瀬戸の跡を継ぐようなものを書いてくれ」と川口松太郎さんの両手を掴んで云ったとあり、筆者はその祈りに似た願いを、『明治一代女』としている。

その本で瀬戸栄一さんも『二筋道』も、初めて知ったが、その関連の発表である。凄いタイミングである。資料だけは頂いたので、ゆっくり読ませて貰うことにする。

トークは前進座の嵐圭史さんで、木下順二作の「子午線の祀り」の群読の知盛の部分を25分ほどにまとめられ、その朗読もして下さった。ご自分の経歴を通しての前進座の歴史劇『怒る富士』『五重塔』『天平の甍』らに至るまでを話された。そして、朗読の<息>についても話され、巧妙な緩急で朗読された。

シンポジウムが、「戦後歌舞伎と前進座」のテーマで、小池章太郎さん、原道生さん、渡辺保さん、<司会>犬丸治さんで、前進座の歌舞伎が面白かった時代のことを話される。前進座の歌舞伎が、松竹歌舞伎とは違う面白さを放っていた時期があったことは知っているが、観ていないのであるから想像がつかなかったが、その未知の世界の話しが面白い。小池さんは、前進座に居られたことがあり、翫右衛門さんと長十郎さんの芸に対する具体的なかかわり方を話される。原さんも、渡辺さんも、前進座の舞台は数多く観られているので、やはり面白かったと話される。渡辺さんは、同一作品に対する前進座歌舞伎と松竹歌舞伎の面白さの勝敗も紹介され、具体的に話されるので、何となく想像がつき納得させられる。

皆さん冷静に客観的に観る眼を持たれていて、歌舞伎学会というと硬く感じるが、どうして、その時には、冷徹と思われる眼が怖くて面白いのである。ベタベタ褒めてばかりいる人をみると、何か利害関係を感じてしまいうんざりするが、理に適った指摘は、もっと観なければと観る意欲をもらうのである。

そして、芝居の水面下での芸のぶつかり合いは、観客にとって、媚薬である。そんな舞台に遭遇したいがために、足が劇場に向かうのである。

 

 

 

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