浅草公会堂 新春浅草歌舞伎

今年の浅草は若い。ただ今回のチラシは好きではなかった。芝居のほうは勢いがあり楽しませてもらった。

恒例の新年の挨拶は、昼は巳之助さんと種太郎さんで、お二人は、踊りが主で、台詞が少なく、巳之助さんは芝居でも、仮名手本忠臣蔵の五段目の定九郎の「50両」だけでとのこと。定九郎は口からの血も右足に垂れ上手くいった。欲を言うなら腕の太さがもう少し欲しい。ということで、お二人この挨拶しか話せないのでこのコーナーが楽しみでと話され芝居や踊りの説明もしてくれた。『独楽売(こまうり)』は60年振りの上演だそうで、その他の踊りにもなっている江戸の物売りも紹介してくれる。この『独楽売』は楽しい踊りで、後見の方が上手く大きな独楽を肩や扇子に乗せてくれ、きっと江戸の独楽売りも上手に廻して見せて子供達の羨望のまとだったに違いない。新米の巳之助さんと種太郎さんの独楽売りは二人で競い合って商売にならない独楽売りのような気もする。

種太郎さんは『猩々』ではお酒を飲んでいるだけですからと言われたが、酒売りの隼人さんにお酒をどんどんつがれお酒好きの中国に伝わる伝説の猩々は次々と盃を空け機嫌よく踊り出す。音楽に乘り思わず指で拍子をとってしまった。つま先だった足を交差し、それが猩々の乱れ足なのであろう。種太郎さんは、一つ得意分野を見つけたようである

お兄さんの歌昇さんの作り阿呆の『一條大蔵譚』の紹介も阿呆の真似をしてされたが、これは難しい芝居である。<桧垣>の場面がなく<奥殿>の場だけであるからなおさらである。歌昇さんは一條大蔵の台詞で、乱世の世の生きずらい心情が実感できたであろう。米吉さんの常盤御前も台詞は良く頑張っていたが童顔なので、やはり役より若く見得てしまう。しかし『独楽売』の時の芸者は、胸を張り色気が出ていて驚いた。ただこちょこちょと歩くと若い娘さんになってしまうので気を付けたほうが良い。

芸者では児太郎さんは背丈もありお姉さんタイプの芸者である。『俄獅子』のとき、巳之助さんとは背格好も近いので高い位置で踊ったが、歌昇さんとは、膝を折られて腰を下げて踊られていて、その位の方が体に色気が出た。身体を使うことによる役の幅の広さを試されるともっと変化に富む面白さが出ると思う。

夜の部の挨拶は松也さんと隼人さんである。浅草歌舞伎参加は隼人さんが4回、松也さんが3回だそうで、隼人さんが、「もう先輩がいないと思ったのにまだいました。」と。「いて悪かったね。」と松也さんに返す。強気の隼人さんである。そしてこの強さが、六段目で勘平を責める一徹な千崎弥五郎となってあらわれた。今回の勘平は、改めて悲劇の人だなあと思わせられた。おかると別れてからの勘平は、自分が舅を殺したと思って居るから救いが無い。勘平はこの段ではヒーローなのであるが、若い役者さん同士だと役に徹したやり取りとなり。リアルさが加わり違う面白さがでる。不破数右衛門には、お金を受け取らなかった大星殿は人を見抜いておりさすがであると言われるし、もしこのことが後の世に恥辱となったときはどうするかとまで言われてはもう切腹しかない。

今までこの芝居でそこまで感じなかったが、熱い義士たちの、仇討を成就するまでの激が飛んできた。これだけ後輩から突きあげられれば松也さんも、後に戻れぬ無念さが一層気持ちの中に加わったことであろう。若い人たちだけでやるとこのぶつかり合いも面白いものである。それこそ大先輩たちとのときは、すでに役としての流れが出来上がっていてそれを壊してはならないであろうし、足をひっぱらないようにとの違う緊張が加わるであろう。

悲劇性を際立たせた六段目であった。

『春調娘七種』は、曽我五郎、十郎、静御前という組み合わせがよく解らない。虎御前なら解かるのでのであるが。<打つ>と<討つ>をかけているようであるが。箱根のバス停にも<曽我兄弟の墓>があり、五郎、十郎、虎御前、三人の五輪塔がある。今度そのあたりとJR御殿場線の下曽我駅からの曽我兄弟ゆかりの場所も散策したいと思っている。この踊りは、五郎、十郎の形で踊ろうと思うとかなり苦労するように見受けた。七草の入った駕籠というのは季節感があっていいものである。

『俄獅子』は馬と羊も出てきて賑やかに締めた。結構恐れを知らぬ世代で、前進あるのみとの心意気である。それが切磋琢磨すれば大きく羽ばたくのも予想より早いかもしれない。昭和の先輩は平成の後輩に突き上げられない様にご用心である。勢いがあるので。

 

 

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