歌舞伎座 2月 『水天宮利生深川』

『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』<筆屋幸兵衛>。通称「筆幸」。河竹黙阿弥の作品で、明治維新による没落武士の話しである。黙阿弥さんが、江戸と明治をどう捉えていたかということを知りたいところであるが、これは、作品群から検証しなければならないので実際のところはわからないが、この作品だけから思ったことがある。

この作品は、今の明治座の場所に明治18年「千歳座」が新築開場した時、初演されたのだそうで、<水天宮>とも関連させ、深川に住む江戸から変わらない庶民の姿をも映し出している作品である。黙阿弥さんは、江戸から明治への風俗の変化と、江戸は無くなっても、庶民の息づいている町は変わらないことを願いつつ書かれたようにおもうのである。

深川浄心寺裏に住む貧しい没落武士の船津幸兵衛(幸四郎)の一家は、妻が亡くなり、乳飲み子幸太郎、眼を患っている姉娘のお雪(児太郎)、妹娘のお霜(金太郎)の4人家族である。幸兵衛は、筆売りをしているが、高利の金も借りどうすることも出来ない有様である。幸兵衛は、同じ武士でありながら剣術に長けていたためしっかり剣術家としてやっている萩原家でもらい乳のうえ、幸太郎の着物と金子をもらい、そのお金で信心している水天宮様の碇の絵の額を買って帰って来る。

長屋の住人は、幸兵衛の家族を気遣い、娘達の話し相手に来てくれたりし、人の優しさに少し心和んでいた幸兵衛であったが、金貸しの金兵衛(彦三郎)と散切り頭の代言人安兵衛(権十郎)がやってきて、萩原の妻・おむら(魁春)からもらった幸太郎の着物と、お雪が施しをうけたお金まで利子の代わりにと持っていってしまう。代言人安兵衛も元は武士で、金貸し金兵衛が無筆のため、代わりに証文を書いたりその内訳の説明をしたりする仕事である。

もうこれまでと思い、家族4人で死ぬ決心をする。幸兵衛の大小の刀はすでになく、残しておいた短刀で、まず幸太郎からと思って短刀を向けると幸太郎は笑っているのである。そこから、幸兵衛の心は一気に度を失い狂気へと変貌するのである。隣では、子の誕生を祝いに呼んだ清元連中が浄瑠璃を語っているのである。他の家から聞こえてくるのを <余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)>といい、実際の清元連中が並び、浄瑠璃「風狂川辺の芽柳」を語るのである。これが、幸兵衛の神経を一層狂わせるのである。隣と自分たちの違い。その高音の語り。その語りに合わせて、ほうきをもっての幸兵衛の狂いながらの踊り。今まで、何んとか武士の対面を保ってきたのに一瞬にして崩れて行く様を、浄瑠璃と共に幸四郎さんは一体となって表現された。

ほかの劇では表現できない形である。新劇であれば、セリフで、ミュージカルなら歌で表現するのであろうが、芝居のなかで、音楽と身体で内面を表現することが出来るのが歌舞伎の強みであり技の見せ所である。この清元、江戸庶民には身近な音楽で長屋の住人は久しぶりに浄瑠璃が聞けると楽しみにしている。

幸兵衛が狂い、長屋の住人、大家さん(由次郎)、車夫・三五郎(錦之助)らが駆けつけ押さえるが押さえが効かない。この辺りも長屋住人の情が伝わる。萩原おむらも気がかりで訪ねてきてくれるが、幸兵衛は、水天宮の碇の額と幸太郎を抱え家を飛び出してしまう。隅田川に飛び込んだ幸兵衛は、幸太郎共々、車夫三太郎に助けられる。巡査(友右衛門)が事情聴取をするあたりも明治である。幸兵衛は正気にもどり皆安心とし、水天宮様の碇の額のお蔭と喜ぶのである。幸兵衛一家を支えてくれているのが、長屋の住人であった。

妹娘お露の金太郎さんが家族の一員としての役目を果たそうと健気である。児太郎さんは、ここでは、眼を患っている不自由さを身体を小さくして俯き、同情を誘う。お雪が水天宮様の碇の額を自分にも見せてくださいと言い、幸兵衛が眼の見えないお雪に手で触らせて説明する様子にも、子を思う親と、親を慕う子の想いがよく伝わる。この辺りの様子から、幸兵衛の子を思いつつも世渡りの下手な自分へのもどかしさ、世間に対する恨みから狂ってしまう人間性というものが時代背景とともによく写し出されていた。

『関の扉』の常磐津、『筆幸』の清元、歌舞伎の音楽性をも加えての楽しみ方に気がつかせてくれる。

 

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