歌舞伎座 3月『菅原伝授手習鑑』(3)

河内の土師(はじ)の里に、菅丞相の伯母である覚寿(秀太郎)が住んで居て、大宰府に出立つ前、ここで伯母の為に自分の木像を彫りあげる。今でも<土師ノ里駅>という駅名が残っている。道真公は、<土師寺>へも訪れたらしく、その後この寺は、道真公の号に因んで<道明寺>と改められ、伯母の館での場面を<道明寺>としている。道明寺も現存しており、道明寺駅もしっかりとある。

芝居の方の<道明寺>は、木像が重要な役割を担い、菅丞相の木像が菅丞相の命を助けてくれるのである。

苅屋姫(壱太郎)は、覚寿の娘で、菅丞相の養女となっている。苅屋姫は姉の立田の前(芝雀)の計らいでこの館におり、菅丞相に会いお詫びをしたいと思って居る。母の覚寿は何んということを仕出かしてくれたかと、苅屋姫と立田の前を杖で打ちすえる。それを、隣室から菅丞相が止めるのである。しかし声のみで、隣室には木像があるだけである。今回は、ここですでに魂の込められた木像の力が暗示されたことが判った。この後、菅丞相の命を狙う者が、出立の時間を早めて向かえの輿に乗せるのである。この場面、初めて観た時、仁左衛門さんが奇妙な動きをされるなと思ったものである。後で納得したのであるが、木像が菅丞相になり、仁左衛門さんが菅丞相の木像になっていたのである。人形振りなのであるが、菅丞相の品格はそのままなのである。解ってからは、この動きが見どころの楽しみの一つとなる。

この悪人たちが、立田の前の夫・宿禰太郎(彌十郎)とその父親・土師兵衛(歌六)で、立田の前にさとられ、立田の前を殺して池に沈めてしまう。その立田の前を池から見つけ出すのがひょうきんな奴(愛之助)で、殺伐とした場面に笑いを入れる。そして、母の覚寿が娘の仇を討つのである。秀太郎さんが、二人の娘に対する、難しい立場を腹に据え、杖打ちと、仇討ちを見せる。そしてもう一つ、苅屋姫が来ている事をそれとなく菅丞相に知らせる。それを鏡でそっと見る菅丞相。

木像に危機を救われた菅丞相は、正式な輝国(菊之助)の迎えを受けての出立である。苅屋姫は堪え切れなくなって姿を現す。しかし、檜扇をさらっと開き顔を隠す菅丞相の仁左衛門さん。大きな袖、檜扇で別れの心理状態を表す機微。こういう形式は歌舞伎ならではの美しさである。さらさらと檜扇の音を聞いた気持ちになっている。

梅王丸はあとを追って飛ぶといい、桜丸は自らを散らせ、松王丸はつれないと言われて悔しがり、源蔵は筆法伝授などより御目文字をと願った御方は、ついに別れを言葉にされず、人々に心を残されて大宰府へと旅立たれたのである。

 

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