舞台『おもろい女』

<天才漫才師ミス・ワカナ>半生の舞台化で、藤山直美さんが演じられた。かつてテレビで、森光子さんが、ミス・ワカナを、藤山寛美さんが、相方の玉松一郎をされ、さらに森光子さんが舞台で演じられたそうであるが、観なかったのが不幸中の幸いとも言える。

ミス・ワカナさんについては、どこかで知りたいなあと漠然と思っていたのである。今回、藤山直美さんで出会えたのである。真っ白であるから、直美さんのミス・ワカナをギンギラギンの眼で観させてもらった。おもろかった。

ミス・ワカナがまくし立て、相方の一郎はボーッとしていてそのアンバランスに受けたという話しは知っている。漫才芸人や落語家を主人公にするドラマがあるが、その芸を披露するのは難しく、まあ仕方ないであろうと妥協するが、直美さんのミス・ワカナのしゃべくりは、おもろかった。ミス・ワカナに似ていようといまいとどうでもよいのである。そのしゃべくり自体が楽しませてくれたのである。

大正14年から昭和21年の敗戦直後、西宮球場での演芸会に出演し亡くなるまでのミス・ワカナさんの半生である。西宮球場が漫才などの演芸をみるために人で一杯に成ったと言うのにも驚かされた。それだけ戦争で人々は笑いに飢えていたのである。ワカナさんは激動の時代のなかで、時には薬に頼り、漫才という芸能を抱えて自爆したともいえる。

前進あるのみのワカナさんであるが、時には愛らしく時には凄味、荒み、自暴自棄の中からよみがえり、これから思う存分自由に漫才の時代だという時にこの世を去ってしまう。その起伏を演じる直美さんの身体表現と顔の表情が凄かった。こういう時のこのかたのそばには居たくないと思わせる鬼気迫る場面もあった。

一郎がそばにはいられないというのが納得できた。一郎役の渡辺いっけいさんはワカナとの夫婦のときもリードされっぱなしで、それで上手くいっていたのが一郎は置き去りにされる形となり、その難しいもどかしさをいっけいさんは、なるほどなあと思わせるかたちで表した。ワカナと離婚し、次の仕事の日時を告げ去る時の何事もないかのような、少しありそうな匂わし方も上手い。

九州の女興行師の山本陽子さんの鉄火な貫禄もいい。九州といえば、炭坑である。その男たちの賑わいの中での興行師である。と思わせてくれる締め具合である。

浪花の興行会社の女社長の気の回し方の正司花江さんは、それと対照的に争わず実を取るこまめさを表す。

そして、興味深かったのが、秋田實さんである。こんなにワカナさんのしゃべくり漫才に入れ込んでいたとは知らなかった。田山涼成さんが、常に穏やかにワカナさんの後押しをする。

詩人で作家、文芸評論家でもある富岡多恵子さんが、『漫才作者秋田実』を書いている。読みたいと思いつつ、上方漫才など判らないしと思っていたのであるが、ミス・ワカナさん、直美さんのワカナさんのお蔭で読めそうな気がしてきた。そのため、田山さんの秋田實もじっくり観させてもらった。

ミス・ワカナの生きた時代の渦の中で、何かしらワカナさんと接点を持ちつつ生きた人々がそれぞれの立場で生き方を求めるのが印象的である。そしてよく笑わせ、ときには、しんみりとさせてくれる。

漫才のために何でも吸収しようとするワカナさん。笑いのために、面白いものは天才的感覚で取り入れたワカナさん。次のステップがあるのにそのステップを踏むことなく消えてしまった。

直美さんは、同じように喜劇のために様々の舞台をこなされてきた。時には、これ直美さんがやる必要があるのかなと思うような舞台もあった。今回は、一つ一つ積み重ねられてのこれぞ藤山直美さんだと思わせてくれる舞台である。きちんと、次のステップを踏まれたのである。

作/小野田勇、潤色・演出/田村孝裕、出演/藤山直美、渡辺いっけい、山本陽子、田山涼成、正司花江、黒川芽似、篠田光亮、山口馬木也、井之上隆志、小宮孝泰、石山雄大、臼間香世、武岡淳一、河村洋一郎、菊池均也、戸田都康

日比谷・シアタークリエ  ~30日(火)

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