国立劇場 『義経千本桜 <渡海屋の場><大物浦の場>』

国立劇場大劇場は6月に続いて7月も歌舞伎鑑賞教室である。

観た日は学生さんで満席状態であった。三階席の一番後ろで観ていて、この作品を歌舞伎初めての学生さんが三階席では辛いなと思った。

萬太郎さんが、「歌舞伎のみかた」の解説をされたが、この演目に関してはもっと詳しく説明してもよいと思った。実は何々であったという展開になるので、前と後の役の映像を使ってインプットさせて、その展開を納得ずくで楽しむという形をとっても意外性が損なわれることはないであろう。むしろその違いを楽しめたのではなかろうか。

菊之助さんが渡海屋銀平から知盛となる。それも、知盛は死んだと思われているのが、実は生きて源氏を討つ機会を狙っているという設定である。そのため知盛は亡霊知盛として源氏の前に出現するわけで、その辺はイヤホンガイドで説明しているのであろうが、三階席では顔が解からない。たとえば、菊之助さんという役者さんを知っている場合は扮装が変っても変わったことが分るのである。その辺が初めての観客にとって国立劇場の三階からではハンデとなってしまうと感じたのである。

平氏と源氏の説明もされたが、そこを、具体的に役として映像を使い、平氏と源氏に分けて説明してしまって、最後の戦いに挑む平氏の苦肉の策を三階席の観客にもっと感じてもらう工夫があって良いと思ったのである。

平家の船の灯りが消え、もうこれで終わりかと、安徳帝に仕える乳母の典侍(すけ)の局が帝に「お覚悟を」と海へ向かう。帝は、覚悟、覚悟と言うが、どこへ行くのかと尋ねる。このあたりは、学生さんも乗り出していた。海の下と言われて幼い帝は恐ろしいという。それはそうである。戦の犠牲となる幼子の悲哀は身分に関係なく人としての目の前の恐怖である。

ここからが、安徳帝が義経に助けられ知盛が入水する難解な部分である。ここは、客席を芝居の世界に取り込まなくてはいけない部分で、知盛の負ける武士の怨みもあり、諦めあり、戦の虚しさも渦巻くところである。渦巻くまでにいたらなかった。

口跡がよく、役者さんのほとんどのセリフがはっきりしていて聞きやすかった。それに加え身体のほうは、まだついて行けないところが見てとれた。

オペラグラスから見える役者さんの顔は皆さん凄くよくて、大役に押しつぶされないだけの真摯さで溢れていた。若い観客にも押しつぶされないだけの気概があったが、取り込むだけの力にはまだ時間が必要のようである。

学生さんたちも、何かよく判らなかったと思われたなら、もう一度資料を読み返して、あの解説していた人が義経で、義経は知盛のことを見破っていたのか。あのよくしゃべってた船を用意する女の人は、安徳帝の乳母で、夫が本当は夫ではなく知盛なんだ。二人の追い返されて魚のラップをやっていた侍も知盛側だったのか。とでも思い描いてくれることを期待したい。

『義経千本桜』とあるから、義経が主人公と思ったら違ってたなあ。などの疑問でもよい。疑問から少しだけ、ぐるっと周囲を見回して欲しい。よくわからないのも、経験の一歩である。

こちらはその連続である。その引っ掛かりに、時には、天女の羽衣がフワァ~と一瞬留まってくれることもあるのだから。

平家側 - 渡海屋銀平・実は知盛(菊之助)、銀平女房お柳・実は典侍の局(梅枝)、北条時政の家来と名乗るが実は知盛の家来・相模五郎(亀三郎)と入江丹蔵(尾上右近)、銀平の娘・実は安徳帝

源氏側 - 義経(萬太郎)、武蔵坊弁慶(菊市郎)

 

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