歌舞伎座7月『一谷嫩軍記』『怪談 牡丹灯籠』

『一谷嫩軍記』<熊谷陣屋>。海老蔵さんの熊谷直実である。どこがどうと言えないのであるが、心が動かなかった。時々気持ちを込めようとするのか、中途半端なリアルさが加わったりする。腹と心とのアンバランスを要する役どころであるが、海老蔵さんの場合はまだまだ役者人生の時間があるので、鯛焼き君で良いと思う。

皮となる材料も中のあんこも決められた分量で、形よく、毎日毎日焼かれてみる。中が半焼きになっていなくて、外目の焼き具合も形よく、同じになって初めて欲をだし、材料の分量と焼き具合を工夫する。嫌になるまで焼かれてみる。これって結構必要なことなのではと思った次第である。近頃の海老蔵さんの器用さが気になるところである。

相模の芝雀さんと、藤の方の魁春さんの、母親としての息子に対する想いが、それぞれからの相乗効果も加わり、静かに底力を含んで伝わってくる。お二人のたたずまいが存在感を大きくし、その点でも、海老蔵さんの熊谷がお二人を抑える力の不足を感じてしまうのかもしれない。力強さと共に動きのゆとりみたいなものであろうか。ずしんとくるのに形は崩れることがなく、それに台詞が歌うのではなく乘っている状態そんな熊谷を期待していた。

義経が梅玉さんである。それに連なる若い四天王、巳之助さん、種之助さん、廣松さん、梅丸さんが、しっかりした視線で控えている。今回は梅丸さんに拍手である。弥陀六の左團次さんは安定しているので、この辺りからは気が抜けて、最後の熊谷の花道の引っ込みが、やはり物足りなかった。リアルさはいらない。無の悲しさでいい。

『怪談 牡丹灯籠』。玉三郎さんに嵌められた、中車さんと観客である。中車さんの台詞を生かすために仕組まれたのではないかと思わせる舞台であった。伴蔵の中車さんの台詞も動きも抑え気味である。そのことが反って中車さんの台詞術と演技力を際立たせ、玉三郎さんの女房お峰とのバランスと掛け合いの面白さを増した。

浪人であるが美男の萩原新三郎は旗本の娘・お露に一目惚れされ、お露は会えないため恋焦がれて亡くなってしまう。亡くなってもこの世に迷い出て乳母のお米と牡丹灯籠とともに新三郎宅を訪ね、新三郎と逢瀬を楽しむ。幽霊に取りつかれたわけである。新三郎は幽霊と気づき身を案じて、懐には金の海音如来を、家の周りにはお札を張り巡らす。幽霊は、百両を渡して、伴蔵に仏像とお札を一箇所だけはがさせる。そのことにより新三郎はあの世へ連れ去られてしまう。伴蔵夫婦が新三郎を殺したわけで、そうなると、江戸には居られず、栗橋に引っ越し、百両を元手に商売を始め上手くゆくのである。

伴蔵は幸手宿の笹屋に勤めるお国に入れ込み、江戸での長屋住まいのお六が訪ねてきて泊まる。お六は夜中に突然何かに憑りつかれたように、伴蔵がお札をはがして新三郎を殺したと言い始める。伴蔵はお六を殺し、お峰までが同じことを言い始め、お峰をも手をかけてしまう。

伴蔵は、お峰と二人で、幽霊の頼みをきいて二人で悪事を働いて共に生きて来たのに、お峰をないがしろにして一人になった事に恐怖と後悔の想いを抱きつつ花道を去る。中車さんはこのラストが違和感なく伴蔵を演じ運ばせた。

この花道の去り方と終わり方に驚いたが、そういう結末にするように、玉三郎さんと中車さんの伴蔵夫婦の掛け合いの台詞劇はながれていた。

原作では、幸手の土手で、伴蔵はお峰をだましうちにするのである。殺す気で殺すのであるが、今回は殺す気がなくて殺してしまう形となっている。初めて観る流れである。

幽霊にお札をはがすことを頼まれて恐怖の伴蔵に、百両要求すればあきらめるであろうと提案したのはお峰である。この辺りの庶民の幽霊に対する恐怖と貧乏に耐えている庶民の悲しくも可笑しい様子が浮き彫りにされる。栗橋でお国のことを問いただし、伴蔵に丸め込まれるお峰と伴蔵のやりとりなど上手い台詞劇である。

お峰が伴蔵とお国の仲をお酒で聞き出すのが馬子久蔵の海老蔵さんで、観客サービスたっぷりの楽しい一場面である。円朝役の猿之助さんも背中を丸め噺家円朝らしい雰囲気を出した。お国の春猿さんも、伴蔵をとりこにする色気があった。

萩原新三郎(九團次)、お六(歌女之丞)、お露(玉朗)、お米(吉弥)、お国(春猿)、山本志丈(市蔵)、定吉(弘太郎)

 

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