日本近代文学館 夏の文学教室 (4)

川本三郎さん「終戦前夜の永井荷風」

永井荷風は3回の空襲にあっている。人付き合いのしない荷風で老人(66歳)であり単身者である。空襲による孤独感と恐怖は大きかったであろう。(1回目)昭和20年3月10日の大空襲で麻布自宅偏奇館焼失。杵屋五叟宅へ。(2回目)5月25日、菅原明朗の紹介で住んで居た東中野の国際文化アパート空襲で焼失。菅原明朗と永井智子と明石へ向かい、岡山に移動。(3回目)6月28日岡山での大空襲にあう。この三つの空襲の体験は、その後の荷風の様子から考えて、トラウマとなり心的障害をきたしていたのではないか。荷風を支えていたのは、言葉である。

荷風を助けた人々。クラッシク音楽家の菅原明朗、声楽家の永井智子、菅原の弟子・宅孝二。明石に向かったのは宅の実家があったから。(訂正:菅原の実家である)永井智子は作家・永井路子の母である。菅原と永井は8月3日から3日間広島でコンサートがあり、5日の夜岡山に残した荷風が心配で泊まらずに岡山に向かう。泊っていたら被爆していたであろう。菅原はドイツ音楽ではなくフランス音楽を研究しフランス好きの荷風と好みが一致した。宅孝二はクラッシクからジャズに転向し、戦後、映画音楽を手掛けている。森繁久彌の社長シリーズなども。荷風の詞、菅原の作曲、智子の歌、宅のピアノでの演奏会もあった。

〔 資料もあり、広島原爆の後、荷風さんと谷崎さんとの岡山での再会のことなど『断腸亭日乗』から調べたことがあるので、長くなってしまう。市川市文学ミュージアムでの『永井荷風展』での講演でも、荷風の空襲によるトラウマとする考えは聴いているが、テーマは違っていたので少し触れただけだが、今回はきちんと日記をひいてなので説得力はある。フランス仕込のおしゃれな荷風さんには考えられない晩年の姿と行動の原因と考えておられるのである。価値観が変わったことは確かであるがそのトラウマの程度や影響は荷風さんの言葉、文章から読み解くことはできないのであろうか。それが知りたいところである。

永井智子さんという声楽家がいてその方が、永井路子さんのお母さんであるということを初めて知る。古河市に永井路子さんの実家があって、古河文学館の別館として公開されている。私が古河と『南総里見八犬伝』の関係から古河市を訪れたのは、東日本大震災の後だったので、非公開であったが、再公開されているようである。その旧永井家は智子さんの育った家でもあったわけである。古河城の櫓が歌舞伎『南総里見八犬伝』での<芳流閣屋上の場>の芳流閣のモデルとされているが、その痕跡はない。代わりに古河市の文学関係者のことを知る結果となったわけである。

その一人が子供雑誌『コドモノクニ』の編集者・鷲見久太郎さんである。映画『小さいおうち』の男の子の枕元にもこの『コドモノクニ』が置かれていて、奥さんの好きになる青年が男の子に読んであげる場面がある。『コドモノクニ』は大正から昭和初めにかけて出版された、贅沢で、子供たちの情操を深く考慮した本で、この男の子が大変幸せな環境にいることがわかるし、ここにこの本を出し子供文化の豊富な時代の先駆けであった時代の停止も感じとれる。

永井路子さんは、家の方針で、絵本を眺めることなく、すぐさま本を読むことを習慣づけられ目にしていないといわれ、郷里の大先輩の鷲見先生を後になって知ったことを残念に思われている。鷲見さんは、古河藩江戸詰家老で洋学者鷲見泉石の曾孫にあたり、鷹見泉石の住居も残っていて公開している。文学館に併設しているレストランはお薦めである。

音楽家の宅孝二さんが、映画音楽に携わり、市川崑監督の映画『日本橋』も担当をしており、永井荷風さんの交際する限りある周辺からは興味深いことが出現した。次の日、原爆が落とされることなど全く知らずに、音楽を聴き一時の倖せを享受していた人々もいたのである。移動演劇の桜隊の演劇人、丸山定夫さんや映画『無法松の一生』の吉岡夫人役の園井恵子さんなども被爆し亡くなられている。荷風さんが言葉を捨てなかったことによって、その日記をもとに様々な見分ができるわけである。〕

追記: 上記文章の中に<明石に向かったのは宅の実家があったから。>とありますが、宅氏の実家ではなく菅原氏の実家とのコメントをいただきました。調べますと確かにこちらの間違いでした。荷風は5月25日の夜、駒場の宅孝二氏宅に泊めて貰っています。6月2日、菅原氏夫妻とともに宅氏兄弟に渋谷駅で送られ、東京駅から罹災民専用大阪行の列車に乗り、3日に明石に到着。「菅原君に導かれ歩みて大蔵町八丁目なるその邸に至り母堂に謁す。」とあります。菅原氏の実家でした。訂正させていただきます。

日本近代文学館 夏の文学教室 (4)」への2件のフィードバック

  1. 「明石に向かったのは宅の実家があったから。」というのは間違いです。
    断腸亭日乗か罹災日記にもあるように菅原氏の実家です。

  2. 宅様、ご指摘ありがとうございました。調べましたらこちらの間違いでした。もしかしまして宅孝二様にご縁あるお方でしょうか。そうであれば大変申し訳ないことを致しました。深く陳謝いたします。読んでいただきお教えいただきありがとうございました。

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