松竹歌舞伎 『河内山』『藤娘』『芝翫奴』

松竹歌舞伎の地方公演ということになる。幾組かの役者さんの組み合わせで地方を」回られているが、こちらのコースは、橋之助さんを中心に児太郎さん、国生さん、錦吾さん、秀調さん、友右衛門さん等である。

『河内山』。江戸の末期に無頼に生きた6人を六歌仙に準え、<天保六花撰>といい、講談から歌舞伎に取り上げその中心がお数寄屋坊主の河内山宗俊である。ユスリもなんのそので、悪を美しく描くのが歌舞伎であり、スカッと恰好良くなければならない。そろそろ橋之助さんに乗り移るのではと期待していたら、形となった。色気もあるし、大きさも出た。悪の妖しい凄みには少し弱いが、上々である。

質屋の上州屋の場面で娘を難儀から救おうとするが番頭に難癖をいわれ、じゃ、俺は降りるよというあたり、話が決まり花道で算段を思案して思いつくあたりがいい。花道がないので気の毒であったが充分観客を納得させた。ただ、肝心のもし失敗すれば命がないというところがあっさりして薄味であった。

朱の衣もよく似合い品もある。山吹の小判を所望し、それを確かめる仕草も、時を告げる時計の音にびっくりするあたりの崩しかたも崩し過ぎずに気持ちよく収めてくれた。玄関前での啖呵も楽しませてくれる。死と背中合わせ悪事の無頼さの光はこれからであろう。数馬の国男さんは若すぎで浪路の芝のぶさんとのバランスがとれていなかった。大膳の橋吾さんが頑張った。秀調さん、芝喜松さん、錦吾さん、友右衛門さんがツボを押さえられた。

『藤娘』の児太郎さんは踊り込んだとの印象である。身体をよく使って覚え込んだ身体であると思って観ていたら、左右中央と挨拶をされる。観客に媚びづに静かに挨拶されるのも今の児太郎さんには合っている。何か舞台に落ちた。何がどこから落ちたのかは不明。舞台上に落下物がある。どうされるか意地悪く観察していた。身体の形が崩れる恐れもあるから、無視されるか、それとも処理さえるか。観客に気がつかれるなら手を付けないほうが良い。伊勢音頭のあと、座って自分もお酒を飲むところで、左手に落下物のある良い状態の位置につく。立ち上がる寸前、左手で落下物を隠す。隠すといっても、自然にそこに手がいった。立ち上がった時には落下物は無かった。袖にいれた様子の手の動きも見えない。余りにも自然であった。落下してから、児太郎さんの視線も動きも不自然な個所は一つも無かった。

児太郎さんは、器用なかたとは思えない。外野からの音に惑わされず一つ一つを身体で覚えていかれる。と思っている。これからもその様に進んでいかれてほしい。そして、そろそろかなと思う時、自分の息のあった色をさし、自分の色香として欲しい。急がないでじっくりと。

『芝翫奴』。『供奴』は、二代目芝翫さんが初演されたことから『芝翫奴』とも呼ばれる。踊られた国生さんが七代目芝翫の孫ということもあってであろうか。『芝翫奴』の題名で観たのは初めてである。若さ溢れ、国生さんもしっかり身体をを目いっぱい使われる。花道での左右の足を前で反対の足の膝まで上げ、そのあと爪先をさらに跳ね上げる所作があり、この足さばきも初めてである。主人を迎えにいく逸る気持ちや、仲之町への心の浮立ちであろうか。足踏みも元気であった。愛嬌が出るまでのゆとりは無かったが、これからもっと欲がでてくることであろう。

暑い夏には、演目の選び方もよかった。初めて歌舞伎を観られるお客様も楽しまれたことであろう。こちらも、溜飲が下がり、涼やかな美しさを味わい、元気の気を頂いた。

 

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