映画『TOMORROW/明日』『美しい夏キリシマ』

岩波ホールの企画『戦争レクイエム』<戦後70年特別企画 黒木和雄監督4作品+α>のおかげで、観ていなかった『TOMOURROW/明日』と『美しい夏キリシマ』を観ることが出来た。

『紙屋悦子の青春』を観たあとに、『私の戦争』(黒木和雄著)を読んだが上手く頭に入りきらない部分があったが、『TOMOURROW/明日』、『美しいキリシマ』、『父と暮らせば』を観てから読み返すと岩波ジュニア新書版ということもあって、映像と監督の思いが重なって嬉しいほど想像力が加速する。

『TOMOURROW/明日』(1988年)は長崎に原爆か投下された1945年8月9日午前11時12分の24時間前の結婚式に出席した人々の日常が描かれ、その24時間と同時にそこまでつながっていた人々の命が一瞬にして、この世から消えてしまったということである。それぞれの生きてきた道が、光と共に消失してしまう。結婚し、これから、お互いの気持ちが解かり合えると予感させる新婚夫婦。8月9日にやっとこの世に誕生した小さな生命。まだ誕生していないが、そのことを相手に伝えられない女性。毎日、路面電車の運転手の夫にお弁当を届ける妻。赤紙の来た恋人同士。捕虜収容所に勤務する青年。結婚式の写真を撮った花婿のもと父親。その写真に写された人々が写真と共に消えてしまう。長崎弁が、日本という国にそれぞれ存在している生活のなかの言語を主張する。

この写真に写っていた人々を代表者として、生きていた証として黒木監督は映画を撮られたのであろう。物言わぬ人々への鎮魂の一つの形であり、それを観たことによって、鎮魂の一つとして隅のほうに位置できればよいのであるが。

「1945年7月16日、人類史上最初のプラト二ウム爆弾の実験がアメリカのニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で行われたました。7月23日には、広島、小倉(現北九州市)、新潟の順で攻撃目標が選定され、準備が整い次第、気象条件さえ許せば、8月1日以降いつでも攻撃できるということになったのです。」

4番目として京都が候補にあがるが古都ということで、軍需産業の街長崎となる。その日、第1目標が小倉、第2目標が長崎。小倉上空は断続的に雲でおおわれ、2日前の八幡製鉄所を爆撃した硝煙がながれ目視爆撃ができなかった。目標を長崎にかえる。雲の切れ間に三菱長崎兵器製作所をとらえ投下。長崎には、連合軍捕虜が500人収容されていた。アメリカはそれも承知していた。(『私の戦争』より)

 

原作・井上光晴(「明日ー1945年8月8日・長崎」)/監督・黒木和雄/脚本・黒木和雄、井上正子、竹内銃一郎/撮影・鈴木達雄/音楽・村松禎三/出演・桃井かおり、南果歩、仙道敦子、大熊敏志、黒田アーサー、佐野史郎、岡野進一郎、長門裕之、殿山泰司、草野大悟、絵沢馬萌子、水島かおり、森永ひとみ、伊佐山ひろ子、なべおさみ、入江若葉、横山道代、馬淵晴子、原田芳雄、二木てるみ、田中邦衛、賀原夏子、荒木道子

 

『美しい夏キリシマ』(2002年)。題名のようにキリシマの自然は美しい。しかし、霧島連山が邪魔をして沖縄を隠しているとして、孤児になった沖縄の少女は引き取られた遠い親戚の屋根に登って、霧島連山の見えない先を見ようとしている。

この作品は黒木和雄監督の自伝のような映画でもある。黒木監督は満州国からの引き上げ者で、満州国という日本の後押しで作られた国を子供の目から実際に見ている。日本へ帰ってから、登校拒否児の形となり映画ばかり観て、家族と別れ、宮崎県えびの市の祖父母のもとで生活する。国民勤労動員令により、都城市の航空機の工場に動員され寮生活を送る。1945年5月8日米軍機の爆撃で級友が11人なくなってしまう。その時、友人を救うことをしないで逃げてしまった。

「頭が、ざっくりと真ん中割れて、脳漿があふれてくる瞬間を見たような気がします。両手を私のほうにさしのべて、「たすけてくれ・・・・」というようなしぐさをします。眼は空をみつめて放心して・・・・。ただただ恐怖のあまり、私は立ち上がるやいなや、後ずさりすると、そのまま夢中で走り出しました。」

この後この中学生は、学校にいくことができず、いまでいえば、PTSD(心的外傷ストレス)で医師の診断は肺浸潤ということで、家でぶらぶらすることとなる。祖父が、地主で女中さんがいるような、中学生にとっては違和感のある家であった。

この、ぶらぶらした中学生が見た終戦までの自分の周辺の人々の「美しい夏キリシマ」の生活である。どう生きればよいかわからない中学生の主人公を、柄本佑さんが、演技しているのかしていないのか、主人公そのままの中学生として、映像の中に存在している。助けなかった級友の妹が、屋根の上の少女で、彼女にどうしたら兄を見捨てた自分を許してくれるか尋ねると、妹は「敵をとって」という。主人公は、敗戦となり、ジープとともにゆっくり美しい村の道を歩く米兵に竹槍で一人突き進むのであるが、相手にされず道路から下に転がされてしまい笑われてしまう。主人公は叫ぶ「殺せ」と。米兵は、ライフルを上に向けて撃つ。その時、主人公に見えていた蝶が撃ち殺されてしまう。

霧島連山を望む田の稲は青々と優しく風になびいている。

この村にも敗戦までの夏、生きるために人々には様々なことがある。自分自身さえ支えられない主人公は、キリストの絵を自分の部屋に張り、回答を求めているようでもあるが、人の質問にも、そうとは思わないという能動的な回答しかできない。現実の捉え方ができないので、憲兵にも、解からなとしか答えられず鉄拳をうける。主人公だけでなく大人もどう捉えたらよいのかわからない状態だったのである。

 

監督・黒木和雄/松田正隆、黒木和雄/撮影・田村正毅/音楽・松村禎三/出演・江本佑、原田芳雄、左時枝、牧瀬里穂、宮下順子、平岩紙、石田えり、小田エリカ、倉貫匡広、中島ひろ子、寺島進、入江若葉、香川照之

 

黒木監督はドキュメンタリーやPR映画を撮っていて、劇映画の撮影所には入ったことがない 。

「ああ、劇映画というのは誰でも撮れるのだ。文法というのはあまり必要ないのだ。多くの映画を観て、自分が撮りたいものを撮ろうとすれば劇映画はなんとか、できあがるものだ。何も撮影所にはいって巨匠について学ばなくても、劇映画のイロハ、ABCを現場で覚えなくても映画館こそが学校ではなかったのか」

そう思わせたのが、ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』とアラン・レネ監督の『二十四時間の情事』である。映画監督となった黒木監督は自分の仕事で亡くなった級友たちの代弁をされ、生き残った者と戦争の犠牲となって亡くなられた人々との交信を映画という媒介を通して教えてくれている。

さらに黒木監督には、撮りたいものがあった。

「じつは私は25年以前から、28歳10カ月戦病死した天才映画山中貞雄を主人公にし、山中の戦友で脚本家の三村伸太郎との友情と確執を描いた企画をあたため続けています。」

残念ながら撮る時間が黒木監督には残されていなかった。

『僕のいる街』は、1989年に撮られた短編である。銀座の空襲で一人だけ亡くなった泰明小学校の少年が、幽霊として現れ、戦争をはさんでの前、中、後、現代の銀座の路地などを歩き走り周るのである。映像と写真の中を。銀座という街が通過した時間がわかる。

長野の棚田、姨捨(おばすて)に行ってきた。青々とした田が観たかったのである。太陽の日を受けて緑が美しかった。美しさと暑さが比例していた。この青さを眼にしたかったのだから仕方がないが、暑さのため棚田は一時間弱しか歩けなかった。映画のキリシマの稲と信州の稲の色が重なる。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です