歌舞伎座 九月秀山祭 『競伊勢物語』

『競伊勢物語(だてくらべいせものがたり)』は、歌舞伎座では半世紀ぶりの上演ということである。

またまた、主のために身代わりとなって死ぬ話しである。江戸時代の芝居が全部復活しているわけではないのでこの身代わりの忠儀の死の話しが多いのかどうかは定かではないが、多い。どうしてなのであろうか。忠儀となれば、武士。武士と庶民の世界観は別である。庶民は、武士の世界を忠義で見ることに寄って、現実の武士との違いを置いといて涙したのであろうか。泰平の世の<忠臣蔵>が武士道とするなら民衆が絶賛したのも、武士はときには武士道の忠儀を見せて欲しいとの要望の事件ともいえる。

『競伊勢物語』はややこしい。伊勢物語とあるから、在原業平と関係するとおもわれる。時代は王朝時代である。惟喬(これたか)親王と惟仁(これひと)親王が跡目相続で争っている。主人公といえるであろう紀有常(きのありつね)は、先帝の子・井筒姫を自分の娘として育てている。井筒姫は在原業平と恋仲であるが惟喬親王は井筒姫を差し出せという。有常は井筒姫と業平のために一計を考える。

有恒には実の娘がいて、この娘・信夫(しのぶ)は、奈良春日野に住む小由(こよし)に預けている。なぜ預けているのかはわからない。この信夫と信夫の夫・豆四郎が、選りにも選って、井筒姫と業平に似ているのである。有常は、実の娘夫婦の身代わりを考えたのである。

豆四郎は惟仁親王の旧臣の子である。惟喬親王側に奪われた神鏡の八咫鏡(やたのかがみ)が立ち入ってはいけない玉水渕(たまみずぶち)にあると聞き、信夫は夫のために禁を犯して悪党の銅鑼の鐃八(にょうはち)と争って手に入れるのである。今は反物を売って歩いているが、生まれがわかるような行動である。

有常は、小由の住居へ訪ね昔を懐かしむ。どうやら有常は昔、庶民の暮らしまで身分が下がったようである。小由は、有常にはったい茶を振る舞い、有常は頭に手ぬぐいを置き、昔の太郎助の姿ではったい茶をご馳走になる。このあたりは、娘を返して欲しい本当の理由を言わず小由と昔語らいをする柔らかな有常であり、太郎助と接して心から懐かしむ小由である。

信夫は禁を犯したのである。母・小由に難が及ぶのを考え、親子の縁を切るためにあえて難癖をつけるのであるが小由は取り合わない。夫の豆四郎との夫婦喧嘩かなにかで機嫌が悪いのであろうと信夫をなだめる。信夫には信夫の母に対する想いがあったのである。

それを納めるのが有常の信夫を預かるという言葉である。信夫は京に上るのである。有常は信夫の髪を梳いて整えてやる。死を前にして、父が娘の髪を梳くというのはこの芝居のほかにあるであろうか。嬉しそうに似合うかという娘。心の内を隠し似合っているという父。なんとも悲しい情愛のこもる場面である。こちらからは見えないが、親子二人の映る鏡の絵が想像出来る。

自分が身代わりとなる覚悟の出来た信夫は、小由の頼みで琴を奏でる。身分違いという事で小由と信夫の間には屏風があり、母は砧を打ち、小由は琴を奏でる。音楽的にも上手くできた場面である。琴の音が止り不思議に思う母。信夫は父に切られ、豆四郎は切腹し身代わりとなる。赤と白の布に包まれた二つの首を、有常は抱えている。そして、井筒姫と業平がその死をそっと悼むのである。

であろうと思う。

時間が立つと覚束なくなる。奈良街道での、娘たちが背負って京に売りにいっていたのが、かつて陸奥の国の信夫郡(現在の福島県福島市)で作られていた信夫摺りの反物らしい。有常が小由に娘を預けたのも、陸奥でのことらしく、娘・信夫の名もそのへんと重なっているようである。

隠されたいわれが幾つかあるらしいが、芝居自体からそれを読み解くのは難しい。

印象が強いのは、有常と小由の再会の場と、有常と信夫の髪梳きの場である。有常が決めた忠臣は、小由や信夫を目の前にしても変わらない。そういう生き方しか選べない人としての悲哀がある。

有常の吉右衛門さんは、小由と信夫に再会し心和ませているようでいて、自分の役目を疑わぬ生き方を選んだ男の頑なさも見えた。今回はその生き方に狭さを感じてしまった。それに対する信夫の菊之助さんは、自分の思うところを突き進む激しさとあきらめの対比が顕著であった。小由の東蔵さんはあくまでも庶民の生き方を貫く、信夫の心を知らず母として娘をなだめたり、有常の心を知らず心から懐かしがったり、その裏切りに成すすべのない位置を保った。豆四郎の染五郎さんは事の成り行きにじっと耳を傾け、自分の立場に身を添える役どころを静かに貫いた。悪役の又五郎さん多種多様な役をこなされ、今回も手堅い。大谷桂三さんの息子さん・井上公春さんが初お目見得である。これを機に歌舞伎がもっと好きになってくれるとよいが。

この芝居、通しで残っているのであろうか。通しで観たい作品である。

<紀有常生誕1200年>とある。このかた、『伊勢物語』の十六段目にでてくる。三代の天皇に仕えながらのちに普通の人に落ちぶれ、それでいながら昔と同じ心持ちで暮らし生活のことは考えない。そのため40年連れ添った妻は嫌気をさし尼になってしまう。別れに対し何もしてやれないのを嘆く有常に代わって友人が気の毒に思い、有常の代わりに夜具を贈ってやる。その志に感謝し二首詠むが、後の句が「秋や来る露やまがふとおもふまで あるは涙の降るにぞありける」である。(秋がきたのか、それで露がこんなに置き乱れているのか、とそう思うまで私の袖が濡れているのは、涙が降っているのでした・・・)(中村真一郎訳)

 

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