断捨離予定本が復活『東京人』

本棚の板が重みで歪曲して、ビスの部分がひび割れている。まずい。断捨離である。悪魔の手が伸びて生贄は、『東京人』(1999年8月号」)<特集 世紀末は落語で笑え!>。開いてしまったのが悪魔の運の尽き。面白くて、復活し、断捨離終了である。

立川談志さんと吉岡潮さんが、談志さんが「ゆめ寄席」に実際に選んだらどんな芸人さんが並ぶのかということで、選んでいく。人の並べ方だけでなく、この人のこれという指定がある。その中に、柳家紫朝さんの「両国」が入っている。この雑誌が出たとき、こちらは、紫朝さんは知らない。寄席で紫朝さんの都々逸などを聴いて気に入りCDを買った。ところが、響いてこない。骨折して時間を持て余し静かに聞いたところ微妙な声の響きと節つけに気がつく。紫朝さん選ばれたたのが嬉しい。かつて『文芸寄席』をやったことがあり<永六輔が講談、清川虹子と宮城千賀子の座談、手塚治虫先生が漫画を描き、俺と前田武彦が漫才、はかま満緒が手品、前座が円生師匠>との話しあり。止まらなくなる。

金原亭馬治さんが、馬生襲名予定の年で志ん朝さんも出てくる。

東野圭吾さんが、自分の作品に『快笑小説』『毒笑小説』という短編があって、「笑い」をテーマにしていて、「笑い」をテーマにすることは東野さんにとっては修業の一つであるとしている。そして『しかばね台分譲住宅』は志の輔さんが『しかばねの行方』と改題して創作落語にしていた。知りませんでした。

池内紀さん。どこかで目にしたお名前である。日本近代文学館の今年の夏の文学教室で、「森鴎外の「椋鳥通信」」の講演をされたドイツ文学者である。そのかたが「明治の大名人三遊亭円朝」を書いている。鏑木清方の高座での円朝の画像が有名であるが、清方さん、円朝さんについて旅をしているのである。明治28年、円朝さん56歳、清方さん17歳である。新し噺の取材旅行である。茶店があると疲れていなくても寄り、話しを聴くのだそうである。

「牡丹灯籠」にもふれ、下駄の音を「カラコロ」とでてくるのは、樋口一葉さんの「にごりえ」で、10年あとに円朝さんは下駄の音を「カランコロン」とする。

「「牡丹灯籠」では、因果物語と恋の怪奇がかわるがわる語られる。それぞれをA、Bとすると、ABABABといったぐあいに進んでいる。」

今日はAかなと思うとBの話しで、次はまたAの話しになるという続けかたである。聞き手の興味を裏切りつつ、その手の内にハマらせ、次を聴きたくさせるのである。

速記本として出し、手直しをしてまた発表して「原稿料」をとる。手直しは高座での客の反応を批評家として見立ててなおすのだそうで、清方さんの絵の円朝さんのじーっと客を見つめる眼が座っている。

「浅草十二階をつくった男」(稲葉紀久雄・文)浅草にあった<凌雲閣>の設計者バルトンさんの話しである。バルトンさん、衛生工学が専門で、日本や台湾の上下水道の整備をされたかたで、浅草っ子に気に入られ、高い塔を建てることに参加したのである。大阪に<凌雲閣>(のちの通天閣につながる)があり、いつしか<浅草十二階>と呼ばれるようになる。

最初は、浅草寺の五重塔の修理費用のため周囲に足場を組みお金を取って五重塔の上まで登らせたところ凄い人気となり、修理後、高いところを人々が好むことに眼をつけたのが始まりということである。<浅草十二階>は関東大震災で八階から折れてしまう。

しかし、バルトンさんは、日本各地に上下水道の設計をして衛生のために尽力されたことは残された。日本人女性と結婚し、日本で亡くなられている。明治の浅草の写真に写されている<浅草十二階>にはそんな歴史があったのである。

その他「ミステリー小説の東京・乃南アサ」(川本三郎・文)「川端康成と少女論」(小谷野敦・文)等、この一冊を選んだがゆえに断捨離の時間は、読書の時間になってしまった。

吉川潮さんが本格派声帯模写の丸山おさむさんを紹介していた。このかたの流行歌手の物真似は本格的で、時間的長さが必要のため、テレビでは無理であり、やはりな生で味わう人である。

東野圭吾さんの本は、旧東海道の帰りに古本屋で手に入った。友人は、値の下がるのを待っていた本が5冊見つかり重いリュックも何のそのである。

円朝さんの話から、歌舞伎座10月『文七元結』で感じたのは、円朝さんの眼は、角海老の女将として、和泉屋清兵衛の眼として見まわしている。清兵衛が文七を認めてはいるが、自信過剰の部分を見抜いている。それが、お金紛失と左官屋長兵衛との出会いによる経験で、独立させてもいい時期と思うのである。単に、めでたしの付け足しではなく、文七の成長をもきちんと描いていると思う。そして、お久の人間性。それらを見定めてのめでたしで、さらに、一皮むけた文七は、元結のアイデアをだすのである。円朝さんはきちんとその辺りを計算に入れていたように思えた。

一冊も断捨離できない原因は、本を開いたことである。しかし、16年前、一冊の本をこんなに愉しんではいない。それだけ少しは、振り幅が広がったのであろうか。

来年こそは、断捨離で本棚の歪みを正常にしよう。

 

 

 

 

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