国立劇場 『東海道四谷怪談』(1)

突然のpcのトラブルである。お岩さんさんとは関係ないと思うが。

12月14日の夜から15日の朝5時半にかけて両国の<吉良邸跡>から<泉岳寺>まで赤穂浪士の討ち入りあと歩く企画があり参加した。夜歩くのであるから、日中とは違う景色である。途中休憩は入るが予定では朝6時までで、8時間である。そんな長時間歩き続けられるか心配であったが、いつもとは違う闇の世界の見どころなどがあり、異空間体験が新鮮であった。

11月歌舞伎座の『元禄忠臣蔵』で、両国橋は通らなかったとあったが、両国橋を渡ればすぐ将軍お膝元のお江戸である。やはりそれは避けて、一之橋(一ッ目之橋)を渡っていた。

さて『東海道四谷怪談』であるが、チラシには雪が降っている。冬の四谷怪談は怖いよりも寒々しいのである。どうなることかと観劇したが、きちんと夏と冬があった。赤穂浪士の忠義臣とそこから滑り落ち悪の転落が加速する反忠義臣の夏で終わり冬に至れなかった明暗がはっきりした。

「四谷怪談」が「忠臣蔵」と切っても切れない物語であることがわかりやすく展開した。そして早変わりや仕掛けも芝居を妨げることなく納得できる流れであった。義士の陰で、表にに出ぬ忠義が悲惨な最期となり、幽霊となって出現しなければ恨みは晴らせないとの想いが仕掛けとなって表現されるというのもわかる。それが、お岩さんとの恨みと重なるところのつながりも、やはり上手く出来ているのが改めた整理できた。

そして、討ち入りまでの義士の姿も手堅い役者さんが押さえて、そちらも冬を貫く一本の線が出来上がっていてすっきりとおさまった。

討ち入りは元禄15年12月14日であるが、西暦に直すと1703年1月30日であるとも言われている。しかし現代でも12月14日討ち入りの気分が強い。

討ち入りの時間も、午前3時と4時の二説があったりするらしい。ただ、事実が曖昧な部分も多いだけに忠臣蔵に対する想像が膨らみ、あらゆる見方ができるということでもある。

それをさらに、芝居として「四谷怪談」と「忠臣蔵」を合体させたり離したり出来るというのがまたまた観客を喜ばせ続ける芸の継承である。

 

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