国立劇場 『東海道四谷怪談』(3)

最後は、討ち入りである。

ここは、亡くなった人が生き返ったのではありません。役者さんが違う役を演じるのです。亡くなっていなくても違う役になっていたりします。どなたがどの役をされるかは見てのお楽しみということでしょうか。とまでは、鶴屋南北の染五郎さんは言っておりませんが。『ワンピース』よりは、二役めを捜すのは簡単である。皆さん大いに活躍をしてくれる。

赤穂義士は目出度く本懐を遂げるのであるが、ここで小平へのスポットライトのため、自分たちがないがしろにされたと言われる人も出てくる。直助とお袖である。直助だって悪人である。このままでいいのかとなる。これが、三角屋敷の場である。これもまた、数奇な運命の結末があるので、来年の夏あたりにでも上演された時はご覧じあれ。

江戸時代の人々は、長くて入り組んだ芝居が好きだったようで、今の漫画の長さと似ているのかもしれない。漫画談義をするように、芝居で食べたり飲んだりしながらああでもないこうでもないと話す人がいたのかも。集中しないと理解できない現代人なので、それはご勘弁願いたい。

幸四郎さんの伊右衛門は、根っからの悪党ぶりには凄味があった。その分、お岩がこの伊右衛門と一緒にならなければこんな酷いめにあうことも無かったのにと、お岩の怨めしさが納得できる。染五郎さんのお岩は、儚さと品もある。

小平は義士の陰に隠れた貢献者の代表的存在で、南北さんの筆の入れ方の鋭さがわかる。

義士たちの、隼人さん、錦之助さん、松江さん、高麗蔵さんがその心意気を流れとして引っ張てくれた。そのことの功績は大きい。廣松さん、宗之助さんは悪側としては弱かったが、その分幸四郎さんが前に出ているのでカヴァーされた。米吉さんのお梅には、年の差を感じたが、伊右衛門を想い夢の中状態である。襟もとが少し膨らみがあるほうが良いのでは。新悟さんのお袖で三角屋敷をやっても良いと思うがこれから機会があるであろう。

彌十郎さんの直助の悪役とがらっと変わっての小平の父・孫兵衛もきっちり色分けされていた。宅悦の亀蔵さんは、どうして宅悦はこんなお金のない伊右衛門のところにいるのかと思って居たが、お岩さんの面倒となると腰が軽くなり、そうかお岩さんを好いているのだと思わせた。だから本当のことを話し、お岩さんをだまし続けることが出来なかったのである。萬次郎さんのお熊は、いかにも伊右衛門の母である。

伊藤家は、他の事は考えず孫娘お梅のためだけにひたすら行動する人々で、ちょっと常識から考えると不思議な人々であるが、そこを高家の家来としているのがつぼであろうか。自己中ともいえる。役者さんも、納得できなくて成りきるのが難しいこともあることと思うが、ひたすらお梅のために動く伊藤家の人々であった。

「四谷怪談」と「忠臣蔵」とが整理されてつながり、2015年の歌舞伎観劇も無事終れた。

話しは七代目幸四郎さんへ移るが、11月の歌舞伎座『実盛物語』で瀬尾役の亀鶴さんがくるっと回られた。これを<平間返り>というらしく呼び方が解からないので書かなかった。月刊誌「演劇界」で、尾上右近さんが尾上菊十郎さんに曾祖父である六代目菊五郎さんのことを尋ねられていて、そのなかで、七代目幸四郎さんが瀬尾役で<平間返り>をやったと話されていた。染五郎さんがそのあたりのことを知っていてやろうということになったのであろうか。大変興味深かった。思いがけないところで教えて貰った。若い役者さんは今のうちに大先輩から話しを聴いておくと、思わぬ発見に出会うかも。

さらに、歌舞伎学会の研究発表で、1926年の七代目幸四郎さんとデ二ショーン舞踏団との映像を見せてもらった。(早稲田大学 児玉竜一)『紅葉狩』等を踊られている映像である。今度歌舞伎座に行ったときは、三階にある七代目幸四郎さんの写真を少し親しみをもって拝見できそうである。

 

 

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