国立劇場 三月新派公演 『遊女夕霧』

新派の国立劇場での公演は15年ぶりとのこと。『寺田屋お登勢』で < なにをくよくよ川端柳 水の流れをみてくらす > の都々逸がでてくるが、新派の柳は時代の流れとともに様々ざまな揺れ方を通ってきた。新派だけではなく、演劇にたずさわる全体がそうであり、劇団という組織があるとその動向が検分されやすい結果でもある。

今回の公演は『遊女夕霧』と『寺田屋お登勢』である。

『遊女夕霧』。波野久里子さんの夕霧は二回目である。記憶がさだかではないのであるあが、そのとき、惚れた男への女のこんな貫き方があるのかと新鮮であった。

捜したらパンフレットがでてきた。2004年の4月である。第一場<吉原「金蓬莱」遊女夕霧の部屋>の場は、印象が思い出せないのであるが、第二場<深川西森下、円玉の家の二階座敷>の場は、吉原から場所もがらっとかわり、夕霧は円玉の家へ何をしにきたのであろうとじーっと夕霧の波野さんを見つめていた。

今回は、流れがわかっているので、夕霧が惚れた男はどんな男かと、第一場からじーっと見つめた。惚れられた男は呉服屋の番頭の与之助の月乃助さんである。月乃助さんは一月に劇団新派へ入団したということで、新派の古典といえる作品で相手役をするのは初めて観る。

大正十年頃の吉原の様子がえがかれる。酉の市の賑やかな日に、馴染みの客が遊女に「積み夜具」の贈り物をし、それが遊女にとっては鼻高々なことであった。夕霧も、与之助にお金持ちから贈られるより与之助のような普通のひとから贈られたのが一層うれしいと喜ぶのであるが、与之助は金銭的に普通の人であった。やはり、お金の工面から店のお金を遣いこんでいた。

皆に祝われ、いそいそとお酒の用意をする夕霧。やはり新派ならではの遊女の動きである。それに対する与之助のちょとした陰り、着物の着替えの間など流れはスムーズである。

与之助の苦難を自分にも分けて欲しいという夕霧。ここまでは、吉原という世界での男女の恋である。お互いの情をだしつつ様式美的に進む。月乃助さんは歌舞伎役者であっただけに自然さがいい。

第二場は夕霧が、吉原を出ての行動である。円玉は、かつては講釈師であったが、今は講談などの速記をしている。円玉は与之助の被害にあったひとである。そこへ夕霧はお詫びに来たのか。それだけではなかった。

前科者となる前に、与之助を助ける方法を、夕霧は検事から聞いたのである。だました17人から、そのお金は与之助に貸したのだという借用書を17人全員からもらってくれば、罪とはならないと教えられた。

遊女の姿から一変した姿で頭を下げる夕霧。波野さんのその座り方、卑屈さ、断られた時の啖呵のきりかた、円玉のおかみさんに止められても興奮する姿。捨て身の女の乱れが見どころである。

そして、おかみさんの口利きで借用書を書いてもらってからの与之助との出会いを語るとき、こちらも与之助を思い描く。

おかみさんが、夕霧にお茶ではなく、コップ酒をもってくるその事情をわかっての気の利かせ方。円玉夫婦の芸人であったゆえの情の表し方を柳田豊さんと伊藤みどりさんが手堅くおさえる。

この作品の作家は川口松太郎さんで、実際に円玉の弟子になったことがあり、夕霧のモデルもいるのである。その現実に体験していて、リアルと様式美のバランスの作品として新派に提供しているのである。

遊女であるゆえの意気地と情を、その生活ゆえの生態を匂わせつつ波野久里子さんならではの夕霧として演じられ、観客を泣かせてくれた。

円玉の家の二階から席亭<常盤亭>が見え、そこに灯りがともる。検索して調べたところ、永井荷風の随筆「深川の散歩」に<常盤亭>が書かれている。セリフのなかにもでてきて、こうした忘れらてしまう町のようすなどが散りばめられているのも新派をみる楽しみである。

花柳十種の内『遊女夕霧』

演出・大場正昭

 

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