劇団民藝『真夜中の太陽』

書くよりも、読む・見る・行動するが優先していて、そちらのほうがクセになってしまった。多分このあともそうなると思うが。読む活字にもかなり飢えている状態で、補給が必要である。

劇団民藝『真夜中の太陽』は記録しておこう。太平洋戦争末期にミッションスクールに爆弾が落ち、防空壕にいた女学生と先生が亡くなり、一人だけ助かった女学生が、その時をやり直すことができないのだろうかと心にいつもやりきれなさを抱えている。生き残った自分は、亡くなったクラスメートの中に居場所はあるのだろうかと思う気持ちに答えるために教師やクラスメートが彼女の前に現れて当時の様子を共に再現してくれるのである。

戦争中の女学生の話題のなかに、長谷川一夫、灰田勝彦、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」、そして、驚いたことにジェームス・スチュアートの映画『スミス都へ行く』がでてくる。当時の女学生のあこがれや、食べたいスイーツ、やりたいことなどが明るくそしてひそやかに語られる。今と変わらぬ若い命がはじけていた。

『スミス都へ行く』は開戦前に公開されていて、開戦の日と同時に上映されなくなったり、次の日にはほとんどほかの映画に変更されている。

この映画をいつ見たのかは定かではないが、題名をみて気が進まなかったのを覚えている。田舎から青年が出て来て、都会の娘に恋をして、たらららら~で終わるのであろうと思っていたら、とんでもなかった。地方の若き政治家が都で、政治の腐敗に立ち向かうのである。もちろんロマンスつきである。この若き政治家の雄弁さが日本人には無い素敵さであり、さすがアメリカ映画と思ったものである。それを演じるのがジェームス・スチュアートであるからなおさらである。

ところが、この映画は、想像していなかったくらい、日本の当時のひとびとに賞賛されていたらしい。アメリカでは反米的とみなされていたようだ。『スミス都に行く』にそんな映画の歴史があったとは。

芝居のなかの映画を観た女学生はその素晴らしさを語る。自由に観れたなら、あなたが私であり私があなたなのである。そういう時代に存在していたか、いなかったか。今の時代に存在していたか、いなかったか。今、存在する者の想像の力である。

そして、女学生たちは、五年前の東日本大震災にも重なるのである。

さらにもっと前のそれまでの災害とも。

墨田区観光協会で『向島文学散歩』という小冊子を出している。この小冊子の仕事ぶりは素晴らしい。きちんと調べたことがわかるし、そのまとめかたも簡潔でわかりやすい。向島のゆかりの文士たちの紹介と文学散歩が出来るようになっている。

幸田露伴、幸田文、堀辰雄、森鴎外、永井荷風、正岡子規などで、そこに知らなかった俳人富田木歩が載っていた。このかたは、「大正俳壇の啄木」と称され、1歳のときに高熱から歩行困難となり、貧しさと結核と闘い句作したひとである。関東大震災のとき、友人の新井聲風が避難していた木歩を見つけ出し、身体に縛り付けて背負って火の手から逃げるのである。ところが、橋は焼け落ち、三方から火が迫り、やむなくお互いの手を握りしめ、新井は木歩に許しをこい、一人川に飛び込むのである。過酷である。助けにきたのに。その後、新井は自分の俳句は捨て、木歩の作品を世に残すことに捧げるのである。

時代を越えて試練はつながっている。

『真夜中の太陽』の女学生たちも、自分たちの歌をつくるのである。それが「真夜中の太陽」である。いつも歌おうとして、空襲でさえぎられてしまうが、やっと皆で歌えるのである。美しく力強い合唱であった。

この戯曲のテーマとして選ばれた歌が谷山浩子さんの「真夜中の太陽」である。

若い役者さんたちが、明るさを失わず、その時の一瞬までの命を過去と現代の架け橋となって演じられていた。可愛らしいおばあちゃんの日色ともゑさんは、生き残ったことへの罪悪感を、時には少女となり、時には老女となり、喜んだり、不安になったり、意志をとおされたり、時をもどそうとしたりと、気持ちのゆれをその場に合わせて表現されていた。

生徒に寄り添う女教師・山岸タカコさん。父がイギリス人で母が日本人で日本国籍の生徒に信頼される教師・神敏将さん。事情があるらしいが国家に忠誠な教師・小河原和臣さん。平和な時間のなかで会えた過去の時間。それは大切な時間。

 

作・工藤千夏/演出・武田弘一郎

過去の大切な女学生たち・森田咲子、八木橋里紗、藤巻るも、長木彩、野田香保里、水野明子、加塩まり亜、金井由妃、平山晴加、高木理加、神保有輝美

新宿 全労済ホール スペース・ゼロ  27日(日)まで

 

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