映画『千羽づる』『ソ満国境 15歳の夏』

「8・15 終戦の日特別企画 反戦・反核映画祭」(新文芸坐)

『千羽づる』(1989年)は神山征二郎監督作品で独立プロ「神山プロダクション」第一回作品です。

2歳の時広島で被爆した禎子さんは、10年後に原爆症発症となります。それまで学友とクラス対抗リレーの練習をしたり、教師を囲んで元気はつらつの学校生活を送っていたのが、突然体調をくずし病院へ行き、そこで医師から「血液検査はしていますか」とたずねられます。自分も被爆している母親は「ABCCで2年に一回検査していて、1年半くらいたちます。」と答えます。医師は「すぐ検査してください。」と伝えます。「ABCC」とはなんであろうか。「原爆傷害調査委員会」で原爆被爆者の調査研究機関で、調査はするが治療はしていない。

血液検査の結果、禎子さんは広島日赤病院に入院し、白血病のことは知らされないが、白血球が多くなると死に近づくということは知ってしまいます。二人部屋となりお隣のかたは不治の病とされていた結核ですが元気になり退院することができます。折りづるを千羽折ると病気が治るといわれ鶴を折り続けますが、歯茎から出血し関節が痛み、皮下出血が体中にあらわれてき、禎子さんは帰らぬ人となります。

その禎子さんの闘病生活を通じ学友たちが募金活動をはじめ、折りづるを空に掲げもつ少女の像・原爆の子の像ができあがるのです。

元気に駆け回って生を謳歌していた少女と次第に病魔におかされ衰弱していく様子の変化が悲しい。実家は理容院をしていて他人の保証人となり借金をかかえ、さらに禎子さんの治療費のために現在の理容院を売り小さな理容院を開き家族ささえあい、家族と学友に看取られて禎子さんは亡くなられます。

監督・神山征二郎/原作・手島悠介/脚本・神山征二郎、松田昭三/出演・広瀬珠美、倍賞千恵子、前田吟、石野真子、篠田三郎、田村高廣、殿山泰司、岩崎ひろみ、田山真美子、安藤一夫、樋浦勉

 

追記: 日米共同研究機関「放射線影響研究所」(放影研)が設立70周年の記念式典(2017年6月19日)で現理事長さんが、放影研の前身である「米原爆傷害調査委員会」(ABCC)が、治療はしないで調査だけをしていたことに言及し謝意を表明されました。苦しまれた被爆者の方が、広く知ってもらうことで少しでも癒されることを願います。

 

『ソ満国境 15歳の夏』(2015年)。この映画は、戦争末期15歳の少年たちが、ソ連と中国の国境に置き去りにされたとチラシにあり、どういうことなのかと観たいと思っているうちに終わってしまったので良い機会であった。

昭和20年の夏、旧制新京第一中学校の三年生がソ連と満州の国境付近の報国農場に勤労動員として派遣される。途中で長い列車と出会い、あれは何を運んでいたのだろうと中学生同士が話す場面があります。

あとで判るのですが、それは関東軍が引き上げる列車で、それをカモフラージュするために少年たちが派遣されたのでした。日ソ中立条約が突然破棄されソ連が参戦となり、置き去りにされた少年たち120名は新京に向かいますがソ連軍の攻撃をうけ捕らえられ捕虜となります。支給される食べものはわずかで、衰弱しきった50日後どこへでも行けと突然開放されます。少年たちは歩けない数人を残し新京を目指します。

みんなどうすることもできない状態の時、石頭村(現在の石岩鎮・せきがんちん)で食べ物と水と一夜の宿を提供されます。村人は憎っき日本人ではあるし、自分たちにも余裕がなかったのですが、村長の言葉により少年たちはたすけられます。次の日元気を取り戻した少年たちは出発し、新京にたどりつくことができ生還できたのです。生きて帰れたからこそ語り伝えることを決心されたのでしょうし、その事によって知らなかったことを知ることができたのです。

この原作『ソ満国境 15歳の夏』(田原和夫著)をもとにして、東日本大震災の仮設住宅で暮らす中学校の放送部員と中国の長老との交流から、君たちだって、あの頃の少年たちと同等の苦しみを味わっているのだからと励まされる内容となっています。

いつも犠牲となるのは、名も無き力の弱いものなのです。

田原和夫さんは映画のパンフレットに書かれています。「戦争を知る世代は、何かしらつらい負い目を死ぬまで背負って生きている世代です。私の戦争反対は、理念や観念の問題ではない、私の骨肉に刻みこまれたた深手の疼きです。」

監督・松島哲也/原作・田原和夫/脚本・松島哲也、友松直之/出演・柴田龍一郎、田中泯、夏八木勲、金子昇、田中律子、大谷英子、香山美子、金澤美穂、木島杏奈、澤田玲央、清水尚弥、清水尋也、三村和敬、六車勇登、吉田憲祐

 

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