2006年舞台 『獅子を飼う―利休と秀吉』

平幹二朗さんが亡くなられました。平さんはテレビで、健康と体力維持もかねて歩いて移動し、途中に銭湯があればよく寄られて汗を流されると話されていたことがあり、それ私もやりたいと思ったことがあります。

平さんの舞台は、『王女メディア』と『獅子を飼うー利休と秀吉』を観ています。蜷川幸雄さんと平幹二朗さんの『王女メディア』は演劇界にセンセーションを巻き起こした舞台です。

1998年5月に < 復活!! 平幹二朗の「王女メディア」! 世界に船出した伝説のギルシャ・アクロポリス公演から15年 > のチラシの言葉に心躍らせて観に行った記憶があります。場所は世田谷パブリックシアターで、これが『王女メディア』なのかと芝居の内容よりも、蜷川さんと平幹二朗さんの『王女メディア』を観れたという既成事実に満足したところがありました。

丁々発止の台詞のやりとりでは、2006年1月の平幹二朗さんと坂東三津五郎さんが共演された『獅子を飼うー利休と秀吉』です。1月21日~26日ですから上演期間が短かったのに驚きます。これは、利休の平さんと秀吉の三津五郎さんのぶつかり合いがすざまじく、利休と秀吉が命をかけて闘い、役者同士のぶつかり合いもあって面白かったのですが、内容が一筋縄ではいかない作品でした。

最初はお互いに楽しんで競い合っていたのが、お互いの関係が微妙になりはじめた頃からの話しとなり、そのすき間がずれてきて、利休の死ということになるのです。

2006年作品は、NHK衛生第2の「山川静夫の新・華麗な招待席」で放送され録画していましたので、今回見直しましたが、お二人の台詞と演技の見事さを、改めてじっくりと鑑賞させてもらいました。

ひょうご舞台芸術第33回公演とありまして、少し込み入りますが、この「ひょうご舞台芸術」というのは、建物を作る前に、実際の舞台芸術を発信しようということで最初に発信したのが、1992年第1回公演で初演の『獅子を飼う』です。建設にとりかかっていた「芸術文化センター」は、1995年の神戸・淡路大震災が起こり文化は後回しといった風潮のなかで、芸術顧問の山﨑正和さんが、兵庫の阪神間は文化的産業で生きてきた街で、ここでもう一度文化を復興させることが大切との考えを広め、2005年12月に「兵庫県立芸術文化センター」が完成します。その第1回公演が2006年1月10日~15日までの『獅子を飼う』で、14年ぶりの再演となり、1月21日から東京公演となったのです。

建物ができあがるまで、「ひょうご舞台芸術」は、舞台芸術を発信しつづけていたのです。

『獅子を飼う』の脚本を書かれたのが山崎正和さん。演出の栗山民也さん、平幹二朗さん、坂東三津五郎さんの初演メンバーでの再演となったのです。初演時は三津五郎さんは八十助時代で、おそらく年齢的にも再演のほうが、役者どうしの駆け引きも深くなっていたと想像しつつ録画を観ていました。

神戸・淡路大震災を通過して『獅子を飼う』という舞台が獅子奮迅して再演に至ったようにもおもえてきます。

秀吉は、帝を聚楽第にお招きし、お茶席をもうけ利休とともに歓待し無事大役も終えますが、同時に成し遂げた達成感よりも焦燥感が大きくなってきています。

小田原の北条氏をまだそのままにしていて、全国制覇をしていません。なぜか北条攻めを残していて、大明国への出兵などに次々と手を染めていきます。利休は、お茶という文化を秀吉のもとで次々と発進し続け、茶に関しては、利休の一言で価値が決まるまでになっています。

利休は、秀吉のたてがみを振るい立たせていた勢いと自分の茶に対する美意識とをぶつかり合わせることに、恐れと快感を味わっていました。自分の中に秀吉という獅子を飼っていて、それがどうあばれ、それをどう静めるかに、自分の命をかけているところがあります。

秀吉は、いくら城を造っても利休の茶よりも価値がないのでは、ということに囚われはじめます。ところが鶴松が生まれ、自分の死後も秀吉の功績が続くことが確信でき、利休の力の必要性もなくなり、最後の仕上げの北条小田原攻めを決めます。小田原攻めも成功しますが、弟の秀長の死とともに、鶴松の死も知らされます。

その少し前に、秀長のはからいによって利休と秀吉は茶室で久しぶりで二人だけで向かいあっていたのです。鶴松の死の知らせのあと、利休の茶道職を辞すという文が届きます。鶴松が死んで、秀吉は再び利休を必要としているのを知っている利休に拒否された秀吉は利休を殺すことを命じます。

戦さが終ればそれに代わる発進は文化であることを秀吉は知っています。ところが、利休の手を借りなければ世の人々にさすが秀吉様といわれることができないのも秀吉は知っているのです。

利休は利休で、茶人はお客様の鏡であって生身の茶人を見せてはならないのに、自分はお上(秀吉)に甘えていたと語ります。茶人としての道をはずれていたのなら、今は勝ちにでます。宗易(利休)は死にません。宗易の茶はお上のすみずみにまで染み込んでいます。お上が茶室に一人座れば宗易は天地の風のように満ちているのですと。

時代の流れ。茶々の存在も意識しつつのねね。利休と秀吉の複雑な関係の間に立つ秀長。利休を快くおもっていない石田三成と津田宗及。利休に囲われている於絹。キリシタンの弥八郎。陶工の新三郎。イスパニア人のドン・ペドロ・ロペス。それぞれが、自分の生き方と生きるための損得を計算する登場人物。それらが交差しあっていますので、そこから利休と秀吉の人間像を浮かび上がらすということも加わり、こうであると決めるのが難しいところです。

秀吉だってぞうり取りから天下をとった男です。それだけに本心がどこにあるかわかりません。秀長は利休に秀吉の素顔を見ようとするなと助言します。しかし利休にとって秀吉は自分の茶に対する素顔をみたくなる獅子であるわけです。自分を獅子のエサとして喰らわされたとしてもぶつかる存在であってほしかったのです。自分の茶を武器にしてしまった利休の自我の強さともいえます。

個人的には小田原攻めがでてくるとアンテナが動きます。北条氏がよくわからなくて、三回目の小田原城で友人とああじゃらこうじゃら話しあって、やっと秀吉の小田原攻めまでの過程が組み立てられました。八王子城の悲惨な最期を知っての影響もあります。秀吉がなぜ北条攻めを決めるまで2年もかけたのかという芝居上の設定も時代性を想起させてくれました。

利休と秀吉の関係は、謎です。それだけにその関係は一筋縄では表せない面白さでもあります。

映画でも『利休』(勅使川原宏監督)、『千利休 本覺坊遺文』(熊井啓監督)、『利休にたずねよ』(田中光敏監督)があり、名作ぞろいです。

平幹二朗さんの利休も、舞台人としての作り上げの緻密さを感じさせてくれました。 (合掌)

作・山崎正和/演出・栗山民也/キャスト・利休(平幹二朗)、秀吉(坂東三津五郎)ねね(平淑恵)豊臣秀長(高橋長英)、於絹(大鳥れい)、ドン・ペドロ・ロペス(立川三貴)、津田宗及(三木敏彦)、石田三成(石田圭祐)、弥八郎(渕野俊太)、新三郎(檀臣幸)、(篠原正志、坂東八大、坂東大和、松川真也、大窪晶)

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