歌舞伎座 壽初春大歌舞伎『将軍江戸を去る』『大津絵道成寺』『沼津』

将軍江戸を去る』は、徳川慶喜が朝廷に大政を奉還し、江戸を去り水戸に退隠するという時、人としての慶喜はどうであったろうか、そして周囲の人々はという想いで書かれたのであろう。

ここで慶喜に体当たりするのは山岡鉄太郎です。東京都江戸東京博物館で『山岡鉄舟生誕180年 山岡鉄舟と江戸無血開城』を昨年の夏開催していたのですが観はぐってしまいました。西郷隆盛と勝海舟の会談の前に、鉄太郎さんは、駿府で西郷さんと会われていて、ここでほぼ根回しはされていたと言われてもいます。JRの静岡駅と静岡鉄道の新静岡駅の間にある旧東海道にも<西郷・山岡会見跡の碑>がありました。

そうした行き来のあと、いよいよ慶喜さんは、寛永寺の末寺大慈院から明日水戸へ向かう予定です。ところが、慶喜がそれを延期するというのです。鉄太郎(愛之助)はあわてて駆けつけますが、血気盛んな彰義隊が中へいれません。この血気盛んな人々を男寅さん、廣太郎さん、種太郎さん、歌昇さんらが、いつでも一戦交えるという意気込みを表し、場合によっては、江戸が火の海になったであろうことを想像させます。

それらを押さえたのが、鉄太郎の義兄・高橋伊勢守(又五郎)です。先ず、伊勢守が慶喜(染五郎)に会い静かにどういうことでしょうか尋ねます。鉄太郎は、慶喜から許可が出るまで、慶喜に聴こえるように、側近に大声を出し談判します。慶喜は、鉄太郎をそばに呼びます。

ここからが、鉄太郎の愛之助さんの弁舌です。自分も時代の流れの中で主張を修正しつつ今の考えにいたったのだとしつつ、慶喜の今の考えでは徳川家が一代官となったことにはならないと説くのです。慶喜にも思うところがあり、染五郎さん時として語気を強めますが、個人を押し殺すように押さえます。結果的にその後に乗り込んでくるのは薩長ではないかという疑念を上手く覆い隠し、江戸を戦火にしてはならないという江戸の民への想いに至らせるのです。

千住大橋の場となり、鉄太郎が駆けつけ失礼にもべらべら申し上げましたがという感慨も含めて「そこが江戸の地の果てです」といい、慶喜が、「江戸の地よ、江戸のひとよ、さらば」の言葉を発し、前に進み少し心が残るように身体を江戸に向けるところは、じーんときます。<江戸>とした真山青果さんの上手いところです。

大津絵道成寺』は、大津絵に描かれている、藤娘、鷹匠、座頭、船頭、鬼の五変化で、愛之助さんが勤めます。『京鹿子娘道成寺』と重ねています。道成寺を三井寺に変え、鐘の供養を頼むが白拍子ではなく藤娘で、受けるのが坊主ではなく、七福神の外方(げほう・吉之丞)と唐子(からこ)です。曲がそのまま『京鹿子娘道成寺』で、五変化にするためのお化粧のためか、藤娘のときに眼が大きく愛いらしさが損なわれるのが残念でした。どうしても五変化のほうに力点がいきがちで、大曲とのぶつかりあいの踊りがが薄まってしまうのも寂しいです。当時の旅人のお土産の絵の中からでてくるという軽い楽しみ方をすればよいのかもしれません。愛之助さんは力まずに大奮闘です。

歌昇さんが弁慶で現れたり、染五郎さんが矢の根の五郎で現れたりとお正月らしい賑わいです。種之助さんが愛之助さんが座頭のとき犬で登場します。初演がお正月だったかどうかは分かりませんが、今年も歌舞伎を宜しくのような、河竹黙阿弥さんの作品です。今月の愛之助さんは八役演じることになります。

沼津』は、長い狂言『伊賀越道中双六』の脇筋です。呉服屋十兵衛が、旅の途中で出会った老人が自分の父で、妹の夫が狙う敵が、十兵衛の恩顧にあたる沢井股五郎であり、せっかく親子が会いながらも別れが待っているという家族の情愛からおこる悲劇です。仇討というのは悲劇の連鎖反応でもあるんですよね。

沼津の茶屋で、鎌倉からきた呉服屋十兵衛(吉右衛門)は年老いた平作(歌六)から荷物を運ばせてくれと頼まれてまかせますが、平作はつまずき爪をはがしてしまいます。十兵衛は効く薬があると薬をつけてやると、たちまち痛みがなくなります。

途中で平作も娘と会い、十兵衛は娘・お米(雀右衛門)の美しさから荷持ちの安兵衛(吉之丞)を先に行かせ、平作の貧しい住まいに泊まることにします。十兵衛は娘お米を嫁にしたいともちかけます。ところが娘には夫があり、十兵衛は失礼なことを言ったと謝り、皆寝につくのです。

お米の夫は和田志津馬で沢井股五郎を仇としているのですが怪我をしていて、父の怪我が治した薬が欲しくて十兵衛から薬を盗むのですが、十兵衛に見つかってしまいます。謝り娘を叱る平作の言葉から、十兵衛は平作が実の親で、お米は妹で、仇とするのが、自分の恩顧の人であることを知り、お金と薬を託し早立ちするのです。

十兵衛が去ったあとに、平作はわが子と知り、沢井の行先を聞き出す為千本松原で十兵衛に追いつきます。そして、平作は自分の命をかけ十兵衛の刀で自刃し、その親の姿に十兵衛は忍んでいるお米と、共に沢井を追っている池添孫八(又五郎)に聴こえるように、沢井の行先を告げるのです。

始めの出会いでは何も知らない老人と若者の交流がゆったりと流れ、娘を気にいったほのめきがやがてどこへやら、三人の関係はどんどん暗闇のなかで下降していきます。そして、家を去るとき十兵衛は差し出された提灯の裸ロウソクの炎で平作を照らし、「吉原までこのロウソクで足りるであろうか」と尋ねつつじっとみます。これが今生の別れと思ってのことです。このあたりの、小道具を使っての細やかな台詞に、歌舞伎ならではのリアリルさを感じます。提灯は、安兵衛が主人のために置いていったのです。薬といい、きちんと計算されて話しの流れが出来ています。

こうした運命の下降していくなかで、親子の情の絡み合いの機微を息の合った台詞の行き来で、吉右衛門さんと歌六さんが伝えてくれ、その二人のやりとりに手を合わせる妹の雀右衛門さんでした。

仇討のほうの『伊賀越道中双六』は、三月国立劇場で、平成26年に44年ぶりに上演された再演となります。

 

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