シネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』と公演記録映像『桜姫東文章』

東劇でシネマ歌舞伎『二人藤娘/日本振袖始』を観たのですが、はじめに玉三郎さんが、二つの演目の解説をしてくれまして、そのお話が興味深いものでした。

『日本振袖始(にほんふりそではじめ)』は日本神話をもとにしていて、イワナガヒメが大蛇となるのですが、このヒメは美貌ではなかったゆえに捨てられてしまい、そのことが原因で美しい女を消していくという行動にでるわけです。ただ変化(へんげ)するというのではなく、イワナガヒメにも、許しがたい悲しい怒りが渦巻いていたわけです。

郷土芸能にもよくあるように、お酒を飲ませて酔わせて退治してしまうという形式となりますが、歌舞伎の場合、ここに人の性(さが)が加えられているのではないでしょうか。そのあたりが、古典芸能のなかでも、歌舞伎は、心情がより具体的に垣間見られる芸能と言えると思えるのです。

なぜ振袖始なのかということも話されまして、イナタヒメが袖の下に太刀を隠しもつことと関連するらしく、あまり好きではない演目が、俄然興味がわきました。

『二人藤娘』では、お酒を酌み交わすところが、女でもあり男でもあり、女形が踊りの世界の中で女になったり、男になったりというちょっと不思議な関係も楽しめるのではというようなことを言われていました。女同士という感覚はありましたが、一人にとっては、相手の女性に対し想う男を想定して対峙するということで、それが女形というわけですから、二重、三重の芸の重なりがあるということなのでしょう。

たとえば幽霊などのばあい青白い人魂がでてきてその妖怪さを眼に映るようにしたりしますが、玉三郎さんの場合、独特の妖艶さを芸のかもしだす空気であらわそうとされているようにおもいます。それを若い役者さんにも容赦なく要求されます。

要求されなくなったら終わりとおもいます。それは、凄く有難いことだとおもいます。失敗しても玉三郎さんが受けてくれますから。

公演記録映像は、国立劇場の公演記録鑑賞会で、1962年(昭和42年)3月の公演『桜姫東文章』の上映でした。

上映されたのは、<江の島稚児ケ淵の場><桜谷草庵の場><岩淵庵室の場><山の宿町 権助住居の場>で古い映像のために途中で切れてしまうところもありましたが、これまた面白かったです。

守田勘弥さんが清玄で、玉三郎さんが白菊丸です。このお二人が恋仲で江の島で心中するわけです。玉三郎さん、こんなときがあったのだと観ながら、毎日、勘弥さんから駄目だしをだされて、帰ってからは正座してお話をきかれていたのであろうかと、そんなことまで頭の中の映像では写しだしていました。

桜姫が先代の雀右衛門さんで、私が観た雀右衛門さんとは違う面を観させていただき、雀右衛門さんがこんなに笑わせてくれるとは意外でした。私が雀右衛門さんを観たのは重い役どころばかりでしたので、お姫さまが、釣鐘権助というならず者に恋してしまい、苦界にまで身を沈めるという役どころを観て、驚きました。しかし、これが想像できなかったくらい面白いのです。あのしっとりした中にからっとしていて、あの苦しい心情を内に秘めての雀右衛門さんとは一味も二味も違うのです。新鮮でした。

私の観ていない雀右衛門さんが映像で埋めてくださいました。これらを突き抜けた雀右衛門さんを観ていたわけです。

釣鐘権助が坂東三津五郎(八代)さんで、実際には観たことのない八代目さんはこんな世話の感じも出されていたのかと、これまた楽しかったです。代々の三津五郎さんも芸を継承しつつ、それぞれの持ち味に到達するわけです。

昔はよかったとは言いたくありませんが、腰元の声の出し方の抑揚など、上手く言い表せませんが、これが歌舞伎独特の声の抑揚と言うものではないかと心地よく感じておりました。

ますます解らなくなっていきます。ただ、この奇想天外さは、さすが鶴屋南北さんです。それにしても、それを、こうも軽く客を乗せていくこの役者さんたちはなんなのであろうかと思ってしまいました。

今若手を引っ張る玉三郎さんも、かつては硬さのある演技で、シネマ歌舞伎を観たあとだったので時間の経過ということも感じ、こうした役者さんに囲まれて修業されていたのかという想いもありました。

近頃、退屈だった古い映像も面白いのです。ただ、鑑賞の軸がゆれて混乱させられてしまいますが。

 

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