映画『ダ・ヴィンチ・コード』から映画『メリー・ポピンズ』(4)

ウォルト・ディズニーの約束』は、ウォルト・ディズニーさんが、『メアリー・ポピンズ』を映画化したくて原作者のパラ・L・トラヴァースさんと交渉するのですが、なかなかその許可を得られないのです。やっと許可がおり契約するのですが、その契約にはトラヴァースさん側からのと色々な制約があり、トラヴァースさんとウォルト・ディズニーさんとのそれぞれの主張が交差し、さらにそこに携わる音楽関係、美術関係のかたなどの制作過程などが描かれていて、予想以上に面白く楽しいものでした。

パラ・L・トラヴァースさんがエマ・トンプソンさんですからもうしっかり見せてくれます。そこにウォルト・ディズニーさんのトム・ハンクスさんが何とかしようと奔走するのですから面白くないわけがありません。

最初から、トラヴァースさんとディズニーさんの感覚の違いがわかりどうなることかという感じです。されに実写映画にアニメが入るわけですから、トラヴァースさんにとっては考えも及ばないことです。あなたは何をかんがえているのというところです。こういうところは、エマ・トンプソンさんならではの雰囲気です。エマ・トンプソンさんは上手さを突き抜けた好い女優さんです。

トラヴァースさんの少女の頃が明かされていきます。お父さんが社会の中で上手く対応して生きていける人ではなく、お父さんが大好きな少女は悲しい場面にも遭遇するわけです。そんな中、お父さんが亡くなり、失意の家族のもとに現れたのが母方の叔母さんでした。実務的な人で、どうしてよいかわからないお母さんを中心とした残された家族に代わって実務をこなしていくのです。それが、ファンタジーな話となって完成したのが『メアリー・ポピンズ』なのでしょう。

それをさらに、明るく楽しいディズニーの世界として展開していくのが『メリー・ポピンズ』なのです。ディズニーの世界しかないようなウォルト・ディズニー役のトム・ハンクスさんの行動が自信たっぷりで、これまたトラヴァースさんとの感覚とずれていて可笑しいです。

その間にはさまり、駄目だしを出されながら、ひたすらいい曲と歌を作ろうとする制作スタッフの様子も必見でした。

ウォルト・ディズニーの約束』と『メリー・ポピンズ』は、二作見ればそれなりに面白さが加わりますが、見なくても、それぞれの映画をそれぞれに楽しめる作品だと思います。

メリー・ポピンズ』は、深く考えなくて楽しめる映画ですし、音楽、動き、アニメが上手く総合された映画です。ジュリー・アンドリュースさんの動きも歌も自然で違和感なくその世界に入らせてくれます。ミュージカル映画というものを、あらためて考えさせられました。

ミュージカルという映画も舞台も、個人的には冷めてしまうんです。深刻になって高らかに歌われるとどうもそこで芝居が途切れてしまい歌を聞いていなければならない。これでもかという感じで歌で訴えられるのは苦手なのです。ミュージカルと名がつけば、歌って踊れなければ不満なのです。そうでなければ、音楽劇として欲しいです。これは、『ラ・ラ・ランド』に繋がりますのでこのことは別にします。

締めとしましては、DVD『新約聖書 ~ヨハネの福音書~』を見ましたので、そのことを少し。

映画の冒頭に次ぐように記されています。

「ヨハネの福音書はイエスが十字架にかけられた後、次の世代に書かれた。ローマ帝国がエルサレムを支配していた時代である。十字架につける刑はユダヤ人の処刑方法ではなくまさにローマ人の処刑方法だった。イエスと初期の信者たちはユダヤ人だった。

「ヨハネの福音書」には台頭してきた教会とユダヤ人の宗教制度の間に起きた論議と対立が反映されている。

この映画は「ヨハネの福音書」を信仰的に再現したものである」

映画の最後には次のように記されている。

「このDVDの日本語版はアメリカ聖書教会の翻訳の「Good News Bible」を基にドラマの台詞用に翻訳した。」

福音書は四つありその一つの「ヨハネの福音書」に則って作られた映像で、初心者には判りやすいものとおもわれますが、イエスの語る言葉が中心なのでそれを深く考えようとすればそう簡単ではありませんが流れはわかります。

ヨハネの前にイエスが現れ、ヨハネはイエスの洗礼をおこない、この方が道を示すかただと宣言します。ヨハネは神の使者で、イエスが、神のただ一人子であることがわかります。ここから、イエス自ら神の子であり自分の言葉が神の言葉であり、自分を通して神に近づくことができるのであるから自分を信じなさいと説きます。

そして病人を治したり、目の見えない人を見えるようにしたりし、最後の晩餐、ユダの裏切り、磔刑、復活などが描かれているのです。三時間という長さで、イエスの言葉が多いですが、「ヨハネの福音書」にはこういうことが書かれているのだなということがわかり、読むことを考えると楽をさせてもらいました。

今まで観てきた絵画の構図なども思い出され、こういう場面を描いていたのかということなども浮かびます。一応、「ヨハネの福音書」の基本線はこれとして一つのピリオドとすることにします。

次の行先は、スパイダーマンのように蜘蛛の糸を投げ、ビューンと飛びたいものです。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です