『幽玄』 玉三郎✕鼓童

先週は観劇週間でしたが、風邪のため、先ずは観劇優先と何とか制覇できました。季節がら温度差がありすぎ、身体は温度調整が壊れているようです。そして書くという行為が体調の悪いときには疲れが襲います。

オーチャードホールでの『幽玄』では、玉三郎さんの世界が圧倒的な空気で包んでくれました。来ました!

映画『セッション』『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督にこの舞台を観てもらい是非感想をお聴きしたかったです。どう評されるか。

薄暗いなかを奏者が裃で静かに下手から進んでこられたときは、平等院鳳凰堂から雲中供養菩薩が奏者の中に降り立ったような空気が、奏者の動きに従って舞台の下手から上手に向かって流れていきます。

修練の苦しさなど微塵も表出させない規則的な太鼓とバチで響く音のリズムと一体感。こちらはただただ音を捕えようと美しい単調な動きをながめつつ見つめていましたが、そのうち音の魔法にかかったように、ただただその音の世界に漂っていました。

音のなかで舞われる羽衣、道成寺、石橋の獅子たち、それぞれの場面にそれぞれの幽玄さをこめられた舞台演出。太鼓を芸術の域に高めたいとする玉三郎さんの意志が伝わってきます。

チラシには、玉三郎さんの羽衣の写真がありましたので、羽衣を舞われるのだなとの予想はしていましたが、道成寺と獅子の登場の舞台の展開は新鮮でひたすら楽しませてもらい、あらためて舞台構成のながれに感嘆していました。

ロウソクの灯り。

玉三郎さんの小さな腰鼓の羯鼓(かっこ)と太鼓のセッションも素敵でした。あんなに小さい羯鼓がと驚きました。

道成寺の鐘から出現した蛇にも驚きました。こうくるのですか。日本の古来からの祈りなり祭りなり、人々が守り大切にしてきた心と音を伝えてくれます。

獅子たちの登場では、この音を聴けば獅子たちもその音のありかを探して訪ねてくるであろうと思いました。獅子の毛のゆれが、言葉を交わしているようにふわりふわりとゆれて頷き合っています。音に満足した獅子たちが、それを讃えるように毛ぶりとなります。その世界に無心に遊び遠吠えしているかのようでした。獅子が遠吠えするかどうかはしりませんが。

『セッション』『ラ・ラ・ランド』を観たあとでもあるためか、東洋と西洋の文化、芸術の違いが舞台の作り出す中で感じられました。

歌舞伎はもとより、中国の崑劇、琉球舞踏などを肉体に取り込み体感されている玉三郎さんならではの、鼓童太鼓集団を導いての太鼓の音を集約することで出来上がる<和>の世界の舞台化でした。

映画『ホワイトナイツ 白夜』のミハイル・パリシ二コフさんとの舞台、その他、アンジェイ・ワイダ監督、モーリス・ベジャールさん、ヨーヨー・マさんなどと組んで仕事をされ、東洋のみならず、西洋文化にも深く入り込んでおられる玉三郎さんが、太鼓という打楽器から生み出した最新の舞台が『幽玄』でした。

花道がないのがかえって舞台と観客席との境がはっきりしていて舞台上の幽玄さが際立ち、オーチャードホールという場所も微妙な音を伝えてくれる環境としてベストだったのでしょう。

もう一回この音の世界に浸りたいです。

歌舞伎座の團菊祭五月大歌舞伎についても少し。

見どころは、彦三郎さん改め楽善さん、亀三郎さん改め彦三郎さん、亀寿さん改め坂東亀蔵さん、新彦三郎さんの子息の亀三郎さんへの襲名披露ということでしょう。新彦三郎さんも新坂東亀蔵さんも脇役が多く、新彦三郎さんは、国立劇場での『壺坂霊験記』での沢市で役者さんとしての印象を強めました。今回は『石切梶原』の梶原、『寿曽我対面』の曽我五郎で荒事などもこれからの活躍が楽しみなかたです。新坂東亀蔵さんも、『四変化 弥生の花浅草祭』で、松緑さんと組んでの舞踏で、こんなに身体の動くかただったのかと、これまた今後の修練の花開く日が楽しみな役者さんです。この勢いに新亀三郎さんも巻き込まれていくことでしょう。

七世尾上梅幸二十三回忌ということもあってか、菊五郎さんのお孫さんの寺嶋眞秀さんの初お目見得もあり、十七世市村羽左衛門十七回忌でもあるためゆかりの盛りだくさんな月となっています。

十七世市村羽左衛門さんに関しては、偶然目にした30年まえの雑誌『演劇界』に先人の芸をふくめたお話しが載っていて興味深く、連載されているようですので、このあたりを今後探索したいと楽しみがふえました。

 

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