信州の旅から群馬へ・碓氷めがね橋(5)

信州の旅は群馬に入りました。横川駅で予想外な事態が。コインロッカーがなく駅でも荷物は預からず、どこにも預かるところはないということでした。信じられませんでした。横川駅から<めがね橋>を通って<熊ノ平>までの往復一日コースの散策路がありながらコインロッカーもなく荷物も預からないとは、これいかにです。

止めるわけに行きませんから進みはじめます。<碓井峠鉄道文化むら>というのがありましたがお休みで、開いていたとしても覗く気分ではありません。<アプトの道>を歩きはじめます。

アプトの道>というのは、かつての線路を歩きやすくした道で、アプトというのは、日本一勾配が急な線路のため普通の線路だけでは速度がでだせず、二本のレールの間に、歯車のような車輪がかみ合いつつ進んでいけるようにギザギザのラックレールを敷いているのです。これがアプト式と呼ばれているようです。軽井沢~横川間碓氷線のアプト式蒸気機関車が走ったのは1893年(明治26年)です。現役のアプトは大井川鉄道で走っています。(大井川鉄道も計画するにはやりがいのある鉄道旅です。)

碓氷関所跡>の矢印がありましたが、少しでも体力は使いたくないとばかりに無視です。歩きやすいですが、少しづつ登りですから背中の荷物がうらめしい。今回の旅で一番この道が気がかりでしたが、さらなるまさかの展開でした。碓井峠トロッコ列車というのが<峠の湯>までありますが、これも限られた日にしか運行していません。

先ずは<峠の湯>までめざします。途中でレンガ造りの<旧丸山変電所>(1911年・明治44年)の建物があります。蒸気機関車では煙のためトンネルが多く人体に悪い影響があり、日本で初めて電化された線でもあります。(1912年・明治45年)。

途中ですれ違う若者が、余ほどひどい様子をしていたのでしょう。「もう少しですよ。頑張ってください。」と優しいお言葉。君は天使だ! どうにか天然温泉の<峠の湯>に到着。約1時間。コインロッカーがあった! これで<めがね橋>まで行けます。

出発!<霧積温泉>の説明板があります。森村誠一さんの小説『人間の証明』の舞台となった霧積温泉が碓氷峠入口(国道)から8キロ入った山の中にあり、碓氷線ができるまでは文人、外国人、政界人の別荘があったが、碓氷線ができて避暑地は軽井沢に移ってしまったとあります。この地だって十分山の中でアプトの道からは他の道など見えません。映画『人間の証明』は、角川映画が今までにない宣伝方法で映画界に風を起こした一作品でした。

白秋さんの歌碑。うすいねの南おもてとなりにけり くだりつゝ思ふ春のふかきを(碓氷の春 大正12年白秋39歳) おそらく夏きても秋きてもここの風景はふかいことでしょうがそういうことではないのでしょうが詩人の心も時には軽くいなします。

ここから<めがね橋>まで5つのトンネルを通っていきます。2号トンネルと3号トンネルの間の左手に碓氷湖がみえます。碓氷湖一周散策もできるようです。先を急ぎます。ついに<めがね橋(碓氷第3橋梁)>です。途中の第2橋梁も歩きましたが木などでその姿をみることはできません。下に降りて<めがね橋>の姿を仰ぎみました。やはり圧巻です。ここから国道沿いに駐車場まで遊歩道があるようです。<めがね橋>を堪能して<峠の湯>から1時間。

ボランティアの方でしょうか。説明してくれるかたがいました。その方に少しお話を聞き、ここからさらに5つのトンネルを通って25分くらいで最終の<熊ノ平>なのですが、今回は一番長い546メートルの6号トンネルを通って引き返すことにしました。この6号トンネル長いだけに天井に煙の抜ける穴がありました。

<めがね橋>から<熊ノ平>のトンネル間隔は短いですから、機関車の機関士さんと機関助士の缶焚きの方は大変だったと思います。アプトの蒸気機関車によって日本海側からの物資や兵隊さんも運ばれてくることになったのです。1894年(明治27年)には日清戦争が始まるのですから。そういう歴史の流れを初めて知りました。旅というものは不思議なものです。

新幹線の開通で、信越本線の横川と軽井沢間は廃線となります。横川の峠の釜めしは横川駅横で販売していて、テントを張ったお休みどころがあり、ここで食べることもできます。

<めがね橋>から<峠の湯>までは下りでもあり、一度歩いた道なのでゆとりで到着できました。ここまでで3時間です。ここまで戻れれば、あとは坂本宿を歩いて横川駅までですので、せっかくの温泉です。温泉に入り休憩としました。

碓氷峠路深訪(アプトの道)→ougezi.pdf (annaka.lg.jp)

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