歌舞伎座九月秀山祭 『毛谷村』『道行旅路の嫁入』『幡随長兵衛』

彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 毛谷村』は、仇討浄瑠璃狂言のなかでも、コミカルさを含んだ楽しい狂言ですが、ただかえってこのコミカルさを型で観せなくてはならないので、人物が薄ぺらくならないように気を付けなくてはならないとも言えましょう。柔らかさと大きさというのは、歌舞伎にとっては厄介な難所でもあります。

百姓でありながら剣術の達人は達人ゆえのおおらかさがあり、お召しかかえの剣術の試合に母のためという相手にワザと負けてやります。そんなところへ、母になってやろうかという老女があらわれたり、ニセ虚無僧があらわれたりします。

実は、老女は六助の剣術の師の妻・お幸(吉弥)であり、虚無僧は娘のお園でした。さらに試合にわざと負けた相手は剣術の師・吉岡一味斎を闇討ちにした京極内匠(きょうごくたくみ・又五郎)であることが判明します。

芝居が進むうちに謎がどんどん解かれていくという展開に合わせて、登場人物の設定が面白く、お園は虚無僧に化けた女武芸者(女武道)で力持ちなのです。(『逆櫓』のお筆も女武道です)虚無僧の花道の出は、男としか見えない足取りで、実は女であったというところを菊之助さんがしっかりと表現され、ニセ虚無僧であるということを見抜く六助の染五郎さん、これまでの気の良さだけではないところを、ふたりの立ち合いでぶつけます。

外に子供の着物が干してあります。それを六助が直すところがあり、何かあるなとおもわせますが、この着物に誘われてお幸が来て、お園が来るのです。着物の主はお幸の孫でお園の甥の着物でした。

お園は、その着物から六助を敵と勘違いするのですが、実は、六助はお園の許婚と知り、恥ずかしさに臼を持ち上げて力持ちがわかり、忍びとの立ち廻りをしつつの語りに武道の腕前をみせます。六助も京極が敵と知った怒りで石を踏んで土に押し込めてしまうという力をみせます。

そうしたコミカルな可笑しさが多いところをきっちりと浄瑠璃に乗せてこともなげにやってしまう面白さがあり、染五郎さんの声質の明るさ、菊之助さんの丁寧な浄瑠璃の乗り方に、次の世代へこの作品も繋がっていくのだなあと感じました。わかりやすい作品だけに手堅くしっかり残していってほしいです。

道行旅路の嫁入』は、『仮名手本忠臣蔵』の八段目の塩谷判官刃傷を途中で押さえた加古川本蔵の娘・小浪が義母・戸無瀬と二人で許婚の大星力弥に嫁入りのための旅路を舞踏化したものです。藤十郎さんの戸無瀬は娘に対する気持ちを心でつないで動かれ、壱太郎さんの小浪は、藤十郎さんの背の高さに合わせてひざを折り中腰の辛い姿勢で、力弥にたする想いと寂しい嫁入りを表現しているのには感心しました。顔はあくまでも恋一筋の可愛らしさ。

二人の気持ちを明るくするように登場して踊るのが奴・河内の隼人さん。奴の軽妙さにはまだですが、下半身に安定感があり身体の芯をしっかり保っていましたので、この基本で今後どのような味をだされるか楽しみです。『再桜遇清水』の歌昇さん、種之助さんと隼人さんでこちらは小川家三奴ということになります。

極付 幡随長兵衛 公平法問諍(きんぴらほうもんあらそい)』は河竹黙阿弥さんが書かれているのです。気になって少し調べましたら、黙阿弥さんが亡くなったのが、軽井沢~横川間のアプト式蒸気機関車が走った明治26年(1893年)なんですね。

初演されたときは『湯殿の長兵衛』で明治14年(1881年)、それに「公平法問諍」が弟子によって加筆されて上演したのが明治24年(1891年)です。「公平法問諍」は芝居の中で上演されている演目で、江戸時代に人気のあった公平浄瑠璃で、この芝居にいれることで公平浄瑠璃がこれだけ残ったのだそうですから面白い現象です。舞台の江戸村山座では、この「公平法問諍」を上演しています。

坂田公平が又五郎さん、上人が橘三郎さん、頼義が児太郎さん、柏の前が米吉さんで、いつもよりしっかりこの芝居に注目しました。上演中に水野の家来などが邪魔をしますが、そのやり取りの間どう対応するのか、特に児太郎さんと米吉さんコンビには注目していました。(破戒僧清玄でのコンビですから)面白かったです。困ったわね。お止めよ。親分が来てくれてひと安心。ここはひとまず平伏してなどの気持ちであろうと楽しませてもらいました。

ここで幡随長兵衛のお客の気分を和らげつつ侍をあしらう見せ所です。それに声をかけるのが水野十郎左衛門。一歩も引かぬ幡随長兵衛。こういう侠客はすでに居なかったわけで当時の観客は喜んだことでしょう。今でもあり得ない粋さです。

さて、水野から幡随長兵衛への招待があり、意気込む子分たち。松江さん、亀鶴さん、歌昇さん、種之助さんらのいきり立つ瞬時の動きが良い空気で緊張感を増させます。形にならなかった時期の若手さんを思い出します。代わりに行くという兄弟分の権兵衛の歌六さんらを押さえ、早桶を清兵衛の又五郎さんに耳打ちします。

行かないで欲しいと願いつつも侠客の女房として着替えの手伝いをするお時の魁春さん。天秤棒担いでも、侠客にはなるなと遺言をしての長松との子別れ。喧嘩になってはどれだけの血が流れることか。引くわけにはいかない。

旗本が侠客に辱められて黙っていられようか。水野十郎左衛門の染五郎さんと友人の近藤登之助の錦之助さんら侍たちの謀のため幡随長兵衛は湯殿で水野の槍に突かれ落命するのです。『湯殿の長兵衛』はここからきているのでしょう。

どの場をとっても吉右衛門さんの幡随長兵衛の名台詞です。今回どうして「公平法問諍」の場があるのかわかるようなきがしました。客席から舞台に上がる役者さんを見せる趣向ということもありますが、庶民に支持され愛された幡随長兵衛の姿をより観客にちかづけて見せるためだったのではないでしょうか。ここはどんな幡随長兵衛を役者が作っているかが試される場でもあります。

江戸の芝居小屋にいる雰囲気を観客にも味わせることによって、明治によって押しやられた江戸の空気を、待ってました!と声がかかり、江戸の幡随長兵衛に皆の喜びのざわめきが聞こえてくるようでした。

 

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