3月 歌舞伎座、国立劇場・歌舞伎

  • 3月ももうすぐ終わってしまう。急がねば。映画『ウィンストン・チャーチル』での特殊メイクアーティスト・辻一弘さんに触れたが、今月の歌舞伎座で驚くべき変身ぶりのかたがいる。松緑さんである。美しい白拍子桜子になって登場する『男女道成寺』。昨年の11月国立劇場での歌舞伎公演のトークショーで、もし女形でしたらどんな役をされたいですかと聴かれて、考えたことがありませんと答えられていたので、本当に松緑さんなのと思ってしまった。

 

  • 男女道成寺(めおとどうじょうじ)』は、<四世中村雀右衛門七回忌追善狂言>で、現雀右衛門さんがお父上と『二人道成寺』を踊られ、どちらを観ればと迷ったが次第に四世雀右衛門さんを観ることになってしまった。御高齢なのに可愛らしいのである。現雀右衛門さんは、四世さんよりも近代的な可愛らしさで可愛らしさだけでは終わらない自意識が感じられる。桜子は実は男で狂言師左近であることがわかってしまい、男と女ということになるので、それぞれの踊りを安心して楽しむことができた。

 

  • 今回は2月に続いて名コンビの出演なのであるが、このコンビもよかった。『芝浜革財布(しばはまのかわざいふ)』での芝翫さんと孝太郎さんである。よく知られている落語の『芝浜』であるが、魚屋政五郎(芝翫)と女房・おたつ(孝太郎)のやりとりが自然で、動きも無理がない。働かない政五郎のダメさ加減、それをささえる女房。店を構えてからの女房・おたつのおかみさんとしての落ち着き。こせこせしていない政五郎。この変化も安心して見せてくれ芝居の中に誘いこんでくれる。

 

  • 財布を拾って気持ちが大きくなり近所の仲間と飲み騒ぐが、橋之助さんと福之助さんの演技にこれまた演じているというとげのようなものが消えその場に合う芝居になっていて、襲名披露公演での舞台回数が血となり肉となった結果を見せてもらえた。

 

  • 国姓爺合戦(こくせんやかっせん)』は明国が韃靼(だったんこく)に滅ぼされ、明国再興をかけて親子三人が他国へ渡るのである。和藤内の父・老一官は明国のひとで、明の皇帝にさからい日本に逃れ日本人の渚と結婚し、和藤内がうまれる。明が韃靼(だったん)に滅ぼされ何とかしたいと三人は韃靼国に到着する。老一官は自分の娘・錦祥女(きんしょうじょ)が獅子ヶ城主・甘輝(かんき)の妻になっているので助力を頼む。

 

  • まずこの親子関係を理解しなくてはならなく獅子ヶ城楼門まえでの解説的芝居となる。老一官の東蔵さんの台詞がとつとつと語りきかせ、錦祥女の扇雀さんが親子の対面を感動的にする。次に義理の母親・渚の秀太郎さんが情と毅然さをもって自分を縛らせ城の中へいれさせる。ここまでが、力のない人が演じるとだれてしまうがきっちりと芝居を運んでくれた。この後は、夫(芝翫)が和藤内を助けやすいように自害する錦祥女。それをみて一人死なせてなるものかと自害する母。義理の親子でも気持ちは一つである。

 

  • 和藤内の力をみせる虎退治がないのが、愛之助さんには気の毒であったが、花道での飛び六法が荒事の形をしめす。秀太郎さんの渚は長い芸歴の体当たりである。それを東蔵さんが支え、扇雀さん、芝翫さんが受けて近松門左衛門の義理人情を海を渡って持ちこたえさせてくれた。

 

  • 於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』は、かつてお仕えしていた人のためにお金を工面しようと考え、それが悪の可笑しさに変化するという鶴屋南北の作品である。お金の工夫を考えているのが土手のお六の玉三郎さんでその亭主が鬼門の喜兵衛が仁左衛門さんである。

 

  • 油屋の丁稚久太郎がフグにあたって死んでその棺桶を油屋に運び込み、喜兵衛とお六はゆすりをかけるのである。そこが今回の見せ場である。ここまでは夫婦二人の悪だくみがとんとんと進み、ベテランのゆすりの場面の貫禄の面白さである。ここからが、作者の遊びともおもえる展開で、お灸をすえると久太郎が息を吹き返すのである。悪の夫婦は、仕事の失敗にもこりず籠をかついでの引っ込みである。

 

  • これは、仁左衛門さんと玉三郎さんの『お祭り』への変化物といった感がある。大阪で起こったお染久松の心中物を鶴屋南北が江戸におきかえてお六と喜兵衛の悪が加わったようで、それが『於染久松色読販』の<油屋>と『お祭り』が続くことで、江戸の悪と粋ががらっと趣きを変えて楽しませてくれたということである。息の合ったお二人の出演はやはり舞台に華をそえてくれる。

 

  • 大阪では『新版歌祭文』で、野崎詣りを有名にさせた。野崎観音はJR野崎駅から15分と近い。想像に反し、駅前の小さな川に久作橋がかかっていて、その橋の名ぐらいが芝居のなごりであろうか。『於染久松色読販』で嫁菜売りの久作が油屋の手代に打擲されたのが柳島妙見堂で、久作の出来事を久太郎に入れ替えてゆするのである。この柳島妙見堂は残っていて、近くには四世鶴屋南北のお墓のある春慶寺もある。行く予定が映画『三月のライオン』の映像場面場所で終わってしまった。そのことは後日。

 

  • 滝の白糸』は、泉鏡花の作品『義血侠血』を舞台化したもので、<滝の白糸>は水芸の太夫の名前である。この舞台はその水芸も見せてくれるというお楽しみつきである。ただお楽しみだけではなく、芸にかけてきた芸人が、他人ではいたくないと思う相手と出逢ってしまう。その人は、法学を学びたいとおもっている貧乏な青年である。滝の白糸は、その青年・村越欣弥に東京行きをすすめ、学費を送ることを約束する。滝の白糸が壱太郎さんで、村越欣弥が松也さんである。

 

  • 学資の援助の話しがでるのは二人が二度目の出会いのときで、金沢の浅野川の卯辰橋(うたつはし)となっているが、実際には天神橋のことで、<滝の白糸碑>は天神橋よりも木でできた梅の橋の近くに設置されている。橋の雰囲気が梅の橋のほうが趣があるからであろうか。

 

  • 二人のつながりは皮肉な運命によって法廷で判事になった村越欣弥の前に滝の白糸は立つことになる。欣弥への仕送りのためのお金を奪い取られ、途方に暮れた白糸は判断力を失い人を殺めてしまう。白糸はお金は盗られていないと主張し、お金を奪った出刃の投げ芸の南京寅吉に殺しの疑いがかかっていた。欣弥は白糸の本名・水島友と呼び、あなたの芸のお客に対し正直に答えなさいと欣弥は告げる。自分が水島友の芸によって得たお金で勉強に励むことができた。それは、白糸のお客様が白糸の芸に支払ったお金で、その芸に誇りをもち水島友としては正直になりなさいとさとしているように聞こえた。

 

  • 欣弥が白糸から援助されたお金は綺麗なものであった。そのお金で犯罪を裁く立場となった者としては、きちんと裁かなければそのお金は汚いものになってしまう。そこを汚しては滝の白糸の芸も汚れてしまうと言いたいように思え胸にぐっときた。そして、彼は法廷を出て自殺してしまう。そのピストルの音は水島友にも聞こえた。

 

  • 法廷では水芸の舞台で正面きって華やかに演じる白糸の滝とは違い、後ろ姿である。観ている方は、欣弥と白糸がどんな目線を合わせたのかはわからない。壱太郎さんは、その後ろ姿と台詞で白糸と水島友の微妙さを伝えてくれた。今回の松也さんの台詞のトーンには満足であった。声の良さがあだとなり気持ちの機微が伝わらないところがあったが、そのあたりが今回は聞く者に伝わって来た。白糸を心配しつつ支える春平の歌六さんが役柄通りに押さえ、水芸の一座の様子と投げ出刃芸とのいさかいなどもすんなりとはまって終盤の二人の関係までもっていってくれた。(演出・坂東玉三郎)

 

  • 観たあとに竹田真砂子さんの小説『鏡花幻想』を読み、奥さんとなるすずさんとの出会いからの師・紅葉との関係など鏡花の小説家としての日常世界をみさせてもらい、小説でありながら納得できる鏡花の空間であった。

 

  • 国立劇場の演目は『増補忠臣蔵 ー本蔵下屋敷ー』と『梅雨小袖昔八丈 ー髪結新三ー』である。上方での代表的な成駒屋の中村鴈治郎さんと江戸での代表的な音羽屋の尾上菊之助さんの新たなる世代の東西の舞台が一つの劇場で上演された。

 

  • 本蔵下屋敷>は、家老の加古川本蔵が師直に賄賂を渡し、師直を嫌っていた主人の桃井若狭之助は師直への遺恨を吐き出す機会を失う。さらに、本蔵は塩谷判官の刃傷沙汰のとき判官を止めに入り、世間は若狭之助を厳しい眼でながめている。若狭之助は本蔵を屋敷に蟄居(ちっきょ)させ、さらに、自分の妹であり判官の弟の許嫁である三千歳姫も預けている。その本蔵下屋敷に若狭之助がくる。

 

  • 本蔵下屋敷では、三千歳に横恋慕する井浪伴左衛門が皆殺しを狙い茶釜に毒を入れる。主人に恥をかかせたとして若狭之助は本蔵を斬るといいながら、伴左衛門を成敗する。若狭之助は本蔵が、大星由良之助に切られる覚悟であることを分かっていて、本蔵の今生での忠義にも感謝し来世でも、主従の関係がかわらないことを告げ暇をとらせ、餞別として、虚無僧のための一式と師直の屋敷の図面を渡す。

 

  • 主従の最後の盃。三千歳も縁ある人との関係が絶たれ、本蔵もまた縁が結ばれたであろう人に切られるために向かう人であり、その人の別れに箏を弾き、唄う。若狭之助は本蔵との別れを惜しみ、去る本蔵を近くに呼び戻し、再度、主従の関係を確認する。『仮名手本忠臣蔵』の九段目「山科閑居」の前の話しであり、塩谷判官と大星由良之助の主従関係と相対し裏ともなる主従関係を描いている。

 

  • 若狭之助が鴈治郎さん、本蔵が片岡亀蔵さん、三千歳が梅枝さん、伴左衛門が橘太郎さんである。芝居としては、もうすこし練り込んでほしかった。鴈治郎さんは台詞術が豊富な方であるが、若狭之助の心の在り方の変化が、感情の起伏で台詞に力が入り過ぎ、わかっていながらその裏をかいているという深さが壊れてしまったように思える。最後の別れで素顔の若狭之助が心から別れを惜しんでいる気持ちが本蔵によく伝わり涙をさそわれた。締めがよかっただけにその経過が少し残念であった。梅枝さん、箏がここでも活かされ、ひとつひとつの積み上げということを実感させられた。

 

  • 髪結新三>は、優等生のイメージの強い菊之助さんがどう小悪党の新三を見せてくれるのかという点にある。材木問屋白子屋での門口で立ち聞きする新三の菊之助さん、眼の動きにこれは面白くなるという小悪党の計算が見えていた。手代の忠七の梅枝さんが、女形がやる忠七としてよく勉強されていたとおもう。このあと、花道からの出から素にもどっている新三と対峙する忠七の戸惑いが次第に、観る者の笑いをさそうほど世間知らずであり、新三の悪が光出してくる。

 

  • <梅雨>と題名にあるが上手いなあと改めて思わされる。傘の小道具。菊之助さんは初役にかかわらず髪結いの小道具の使い方など修練されていて軽快であった。傘も上手く使い粋に永代橋を渡っていく。弥太五郎源七の團蔵さんとのやり取り、一枚上手の大家の片岡亀蔵さんとのやり取りなどスムーズに芝居はすすむ。歌舞伎座では抱っこされていた菊之助さんの息子の和史さんが、元気に丁稚長松で出演。菊之助さんの台詞を聞いていると河竹黙阿弥の台詞を目でも追いたくなった。そう思わせてくれる舞台であった。というわけで今回は筋書ではなく上演台本を購入。

 

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