明治神宮の森から映画『三月のライオン』場面の散策

  • 三月のライオン』(2017年)が<四月のライオン>にならないように散策記録である。『三月のライオン』とは、「三月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る」という英国のことわざからのようで、映画でも字幕として出ていた。主人公の少年が、家族を交通事故でなくし一人となり、将棋によって紆余曲折をへて成長していくという内容で、ライオンに立ち向かうだけの立ち位置ができたということであろうか。

 

  • 明治神宮は、明治天皇が崩御されお墓は京都伏見にあるが、昭憲皇太后が崩御され、お二方の鎮座される地として明治神宮が創建(1920年)された。その時この地は荒地で、ここを永遠の森とするため設計した人々がおられる。その計画通り今、壮大な森・明治神宮内苑となっている。150年の計画が100年でその姿が出来たといわれる。(DVD『明治神宮 不思議の森』)その後、明治外苑(1926年)が完成する。

 

  • 明治神宮は表参道から本殿まで歩いたことはあるが、ゆっくり散策して森の気をもらうことにした。それならと外苑からぐるっと回って、内苑に向かうことにしたが、JR千駄ヶ谷駅の前を通る。では、そこから『三月のライオン』に出てくる将棋堂将棋会館へ寄り、明治神宮のあとは、月島へさらに八丁堀から押上へと思ったが、八丁堀で終わりとした。

 

  • こういう散策の時は、お得な切符がお助けである。営団地下鉄の<24時間乗車券>(600円)である。数年前は<一日乗車券>であった。24時間にしたのが凄いです。乗るときに時間が切符に印字される。そこから24時間有効で、たとえば午前10時なら次の日の午前10時まで有効で、午前10時までに乗車すれば降車時間は午前10時過ぎても良いのである。利用者にとってはうれしい。

 

  • 地下鉄青山一丁目駅から銀杏並木へ。桜の時期である。人はまばらである。銀杏並木の説明板もある。新宿御苑の在来木から採集し、種子を明治神宮内苑の苗圃に蒔き育て植樹したとある。親子でゆっくりと自転車を楽しんだり、野球に夢中な人々の声がする。聖徳記念会館へ。今回は外のみであるが上まであがって遠くからながめた柱の空間をたしかめる。会館の裏にまわると<明治天皇葬場殿址>に大木があり、そこの近くから外苑外へ出る。新競技場の建て替え工事をしている。スケート場はここにあったのかと通ったことがない道できょろきょろする。

 

  • JR千駄ヶ谷駅到着。国立能楽堂へ行く時はここから代々木方面に歩くのであるが、鳩森神社を目指す。映画『三月のライオン』を観るまで、ここに「将棋堂」があるのを知らなかった。山形県の駒師・香月氏が制作の大駒が日本将棋連盟から奉納され、将棋界の技術向上を目指す人々の守護神として日本将棋連盟と神社が協力して、六角の御堂におさめられた。ここ、ここと言ってお参りしていく人がみうけられる。ここには甲賀稲荷神社もあり、富士塚があり頂上に浅間神社が。塚とあるようにガリバーになった気分の小ぶりの富士登山であるが、江戸時代の富士信仰の基本の造りとなっている。

 

  • 鳩森神社の向かいが「将棋会館」で、『三月のライオン』の主人公・桐山零(神木隆之介)が出入りした場所である。親に送られて小学生も入っていく。そこから国立能楽堂の裏をまわろうと歩いていると「東京新詩社」の案内支柱がある。ここで5年(明治37年~42年)ほど与謝野寛は短歌会を催し、機関紙『明星』を刊行していたのである。思いがけない出会いである。さていよいよ明治神宮の北参道入口から内苑に入り、北池を渡って宝物殿の前を通り本社殿に向かう。途中広い芝生で人々がおもいおもいに寛いでいる。

 

  • 明治神宮内苑の森は、永遠の森として壮大な計画のもとに造られた。設計を任された本田清六さんとそのお弟子さんは、常緑広葉樹の森を考えた。当時の総理大臣・大隈重信は伊勢や日光のような杉林を主張。しかし、本田清六さんは、東京には杉は似合わない。常緑広葉樹の森がふさわしいとゆずらなかった。先ず荒地であるから針葉樹を多く植え、すき間に広葉樹を植えた。そこから樹の競争がはじまり、広葉樹が勝ち、緑豊かな森となり、外から森の中を守り、動物、鳥、魚、昆虫、植物、土壌生物などが生息する太古の自然のような鎮守の森として存在しているのである。人工で造りあげたのである。いかに自然の生命の循環を熟知していたかである。

 

  • 歩きつつ、この木々の奥では人のおかされない自然が息をしていると思うと、神の森という感じがしてくる。手を加えないことと言い伝えられ、滅びていく木もあり、そこから光を得て育っていく木もあり、実生(みしょう)といわれる木の赤ちゃんは40万本ほどあるという。さて、湧き水の「清正井(きよまさのいど)」を探さねば。警備の方に聞くと、本殿から南参道に向かうと御苑があり、そこの中にあるという。御苑は有料でここは、かつては熊本藩主加藤家下屋敷の庭園で、その後、彦根藩井伊家にうつり、明治維新後は、皇室の御料地となる。ここには明治神宮の三つの池の南池があり、池をのぞくと鯉がゆったりと泳いでいる。なぜか、これが本物の鯉の顔に見えてくる。ひいきしすぎである。

 

  • 花菖蒲田を通って進むと「清正井」があり人が並んでいて警備の方が、ハイ次の方と整理されている。全て外国のかたである。よく調べて来られると感心する。名前どおり加藤清正が堀った井戸となっている。この湧き水、花菖蒲を潤し、南池から水門を通り、南参道の神橋の下を流れ、渋谷川の源流となっている。これからつつじやしょうぶなどの花々で楽しませてくれる場所でもある。

 

  • 御苑を出て、三つ目の東池を探すがわからないので、掃き屋さんに聞く。掃き屋さんというのは、明治神宮で親しみを込めて呼ばれている参道などを掃かれている方で、落ち葉を掃き集め、森にその落ち葉を返す人の事である。これも全て森の土の栄養として返すようにとの言い伝えのためである。東池は、一般の人は入れないとのことで、これで一通り内苑は満喫した。気楽にまた寄りたい東京の鎮守の森です。

 

  • さてここまで来たならと目黒のお寺高福院へ。JR目黒駅から東京都庭園美術館へ行く時、駅の近くにお寺さんがあるのだと思っていたお寺さんで、ここに長谷川伸さんのお墓があるのである。国立劇場で『沓掛時次郎』上演の際、梅玉さんと松緑さんがお参りされていて知ったのである。長谷川伸さんは、『瞼の母』『一本刀土俵入り』などの作品でも、ずいぶん様々な役者さんで楽しませてもらった原作者である。お寺には案内板などもないので、静かにしてもらいたいのであろう。そっと名前で探し、手だけ合わさせてもらった。

 

  • 目黒から地下鉄で月島へ。映画『三月のライオン』は、羽海野チカさんの漫画が原作でアニメ映画にもなっているようだがそちらは見ていない。映画で良いのは、高校生の零の一人暮らしのアパートが川のそばで、部屋のガラスを通す船の行き来の灯りが語るともなく色をそえてくれる。これは映画ならではの力と思う。意味があるような無いような。時には、おそらく乗っている人は楽しくやっているであろう屋形船の提灯の灯であったり。零がこの場所を選んだ気持ちがわかるような気がするのである。

 

  • 居場所の無くなった零に家族の温かい食事の場を与えてくれたのが、母を亡くした川本家の三姉妹。その姉妹の家に行く時に渡るのが赤い橋で、これが佃小橋。そこから住吉神社へ。前に来た時気が付かなかったが、住吉神社宮神輿・八角神輿の天保九年製作と平成二十三年製作のがガラス越しに見えるようになっていた。美しい造りである。そこから花見を楽しむ人々の集う佃公園を通り中央大橋を渡る。渡ったところがかつて霊岸島と呼ばれたところで、伊豆などへ船が出ていた。

 

  • 霊岸島から高橋を渡るとすぐにJRと地下鉄の八丁堀駅へつながる入口となり、零がよく使う。月島から八丁堀までの散策も古さと新しさの混在する場所で、川風が気持ちよかった。小さな稲荷が中央大橋工事のため移設されながらも残されていて地域でご神体を大切にされている。零は家族を失い、自分一人で生きていくため将棋の道を選ぶ。嘘のない勝負の世界で、年齢も関係ない。好きでもない将棋で必死に生きるためにはこの道しかないと思っているが、いつしか将棋が好きになっていた。ひ弱な感じでいながら皆から見守られている零の神木隆之介さんの雰囲気と川の雰囲気がさりげなく合っている。棋士たちやその他の配役も凄い。(豊川悦司、佐々木蔵之介、加瀬亮、伊藤英明、染谷将太、高橋一生、伊勢谷友介、前田吟)監督は『るろうに剣心』の大友啓史監督。

 

  • 追記 映画『聖の青春』(2016年)は、実在された村山聖棋士の病気と闘って将棋に生きた若きいぶきの映画である。『三月のライオン』に出てくる零の幼馴染でライバルの二階堂晴信は、村山聖(さとし)さんをモデルとされたようである。『聖の青春』での、村山聖さん(松山ケンイチ)と羽生善治さん(東出昌大)の対決や周囲もみどころである。

 

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