無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』東京公演

  • 昨年(2017年)の10月から能登演劇堂でロングラン公演した無名塾『肝っ玉おっ母と子供たち』の東京公演である。(世田谷パブリックシアター・4月5日まで)能登演劇堂での雰囲気とは違った意味で二回目ということもあり、肝っ玉おっ母(仲代達矢)の台詞の的を射た皮肉の可笑しさや、悲しさ、怒りなどの矢が飛んでくる。

 

  • 能登演劇堂での空間では、戦争に呑みこまれている人々の右往左往する姿をも映しだされたが、世田谷パブリックシアターでは、戦争の中での、一人一人の人物像と一人一人の心の中で思っている言葉が台詞が身近に迫って来る。劇場の空間だけではなく、能登から始まって、東京に至るまで各地で公演してきて、役者さんもその役に一層密着したということでもある。

 

  • 特に、肝っ玉おっ母の二人の息子(進藤健太郎、川村進)が兵隊となったあと一緒に行動を共にする牧師(長森雅人)と料理人(赤羽秀之)の人物像に違和感がなくなり、仲代さんの演技と呼応する自然さが増す。肝っ玉おっ母の女に刺激を与えるあたりも軽くなり、肝っ玉おっ母のあしらいにも可笑しさが増す。そのことで、料理人に娘(山本雅子)を置いて二人だけで小さな食堂をやろうと言われて、心が動き、いやいや娘を捨てれるかというあたりも深くなった。

 

  • 肝っ玉おっ母は三人の子供の性格と考え方をよく分かっていて、三人のことを他の人に語るが、三人の子供たちは、肝っ玉おっ母の心配していた通りの道を見つけ、戦争と言う渦に巻き込まれて命を失ってしまう。ただひたすら家族を守るために戦争によって儲けて生活してきた肝っ玉おっ母にとっても、どうすることもできない力である。

 

  • 肝っ玉おっ母が町に行っている間に町が攻撃されることを知った娘は言葉を発することができないため太鼓をたたいてそれを知らせようとして撃ちころされてしまう。お前の母親は助けてやると兵隊に言われても娘はたたき続ける。それは、農婦が、町には姉の家族がいてこどもが4人いるのにと嘆くのを聞いたからである。娘の遺体をみて肝っ玉おっ母は、どうしてこの娘の前で子供の話しをしたのかと嘆く。肝っ玉おっ母は娘のことをよくわかっていたのである。

 

  • 肝っ玉おっ母からでる言葉は商売、商売である。守るべきは、商売道具の引き車である。車を売ったお金を賄賂にして小さい兄ちゃんの命を助けようとするが、値切ってしまい助けることができなかった。肝っ玉おっ母は「敗北の歌」を歌う。陽気に歌った肝っ玉おっ母もついに「敗北の歌」である。しかし肝っ玉おっ母は立ち上がる。元気なときには、兵士が上司のために働いたのに女にお金をやって自分には報奨金が少ないと怒ると、肝っ玉おっ母はいう。怒るなら長く怒りなよ。すぐ忘れるんじゃない。兵士は上司の座れの命令に、すぐ応じて座ってしまう。肝っ玉おっ母は、ほらすぐ従ってしまうと笑う。こちらも笑ってしまう。

 

  • やはりブレヒトさんなかなかである。芝居の中に、現代にも通じる皮肉を忘れない。そういう台詞のひとつひとつの繋がりで、芝居が出来上がっていることをあらためて感じさせてくれる舞台となった。仲代達矢さんは能登とは変わらず、さらなる舞台人としての円熟と元気さを発揮されていた。嬉しいことである。

 

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