国立劇場 前進座『人間万事金世中』

  • 河竹黙阿弥作『人間万事金世中』は、明治12年の初演である。芝居名からしても、金が全ての世の中で、明治も10年たちその世相を皮肉っているのかもしれない。士族商法といわれ、武士を捨て商売をしても失敗し悲惨なおもいをしている黙阿弥さんの作品もある。『人間万事金世中』は、商売が上手くいくが、相場というリスクの大きなものが出現してそれに手をだしてしまう。さらなる儲けという欲にかられてしまうのである。そんな時代に翻弄されつつも若い世代は、しっかり物事を見ていてくれた人々に助けられるというお話である。

 

  • 恵府林之助は、父が瀬戸物問屋をやっていて米相場に手を出し破産し、父母も亡くなり伯父の辺見勢左衛門に引き取られてる。勢左衛門は横浜で船着問屋をしていて、その妻・おらんも娘・おしなも家族そろってお金第一主義である。おしなの結婚条件は、お金のある人である。そんな家であるから林之助はタダ働き同然の下男あつかいである。もうひとり、おらんの姪のおくらも両親がなく下女として働いている。おくらの父は生糸の仲買人だったが、蚕種紙(たねがみ・さんしゅし)の相場に失敗している。(蚕種紙とは、紙に蚕の卵を産み付けたものである) 場所が東京ではなく横浜で家主は差配人とよばれ、後の弁護士を代言人とよび、明治を思わせる。

 

  • 林之助には、さらに二人の伯父がおり、長崎で資産家となっている伯父・門戸藤右衛門が危篤の知らせがあったが、ついに亡くなり後継ぎがいないため遺言状をもって手代が訪ねて来る。親戚一同の前でもう一人の伯父・毛織五郎右衛門が遺言状を読み上げる。その結果、林之助には思いがけない遺産が譲渡される。遺産を元手にして林之助は横浜の元町で陶器問屋を開くことにし、明日開店である。ほんのわずかしか遺産の貰えなかった勢左衛門一家はおしなを林之助と結婚させようと乗り込んでくる。ところが、林之助の父が借金をしていた相場師の宇津蔵が代言人を連れてあらわれる。林之助は父の借金を返すためお店をさしだし、ふたたび裸一貫となる。それを知るとまた背中を向ける勢左衛門一家であった。

 

  • 途方に暮れていた林之助を助けたのは、おくらだった。彼女もおらんの身内で身寄りがないので勢左衛門一家よりも多額の遺産金を受け取り、伯父・五郎右衛門にあずけていたのである。それを使ってくれとわたす。さらにおくらは、林之助を育ててくれた貧しい乳母に名前を告げずお金を渡していたのです。この林之助とおくらの波戸場脇海岸の場は、新派の舞台をおもわせる場面で、この10年あとに出てくる「新派」という劇団の成立の動向をみるようである。やはり、歌舞伎の散切り物の庶民性が影響を与えていると思う。芝居のほうは宇津蔵があらわれ、五郎右衛門の手紙を渡す。五郎右衛門は林之助とおくらのお金の使い方を確かめていたのである。

 

  • 林之助の手に店が戻り再び開店させ結婚すると聞いた勢左衛門一家は、あわてて押し掛ける。林之助の結婚相手はおくらであった。これからも親戚づきあいをという勢左衛門一家に林之助はもちろんですと答える。これが黙阿弥さんの芝居なのという感じであるが、この芝居は、イギリスの作品が元にある。では黙阿弥さんの七五調はとなると、相場師の宇津蔵の台詞に生かされている。そして、宇津蔵についてきた代言人は実は落語家であった。林之助の乳母は外国人の洗濯をして生計をたてていたが病気になり、その孫は、辻占い昆布(おみくじの札板が付いていて板昆布ともいう)を売り歩いていて、このあたりも明治の横浜元町の庶民の生活がでている。こうした今は無い生活の知識は筋書から教えてもらった。

 

  • 筋書からもう少しお借りすると、『人間万事金世中』の翻案は、イギリスの人気作家リットンの戯曲『マネー(金)』で黙阿弥さんは、福地桜痴さんから梗概を聞いてこの作品となったのである。新富座で明治12年(1879年)に初演された出演役者さんは次の通りである。林之助(五世尾上菊五郎)、おくら(八世岩井半四郎)、五郎右衛門(九世市川團十郎)、勢左衛門(三世中村仲蔵)、雅羅田臼右衛門(初世市川團右衛門)、おらん(二世中村鶴蔵)、おしな(五世市川小団次)、宇津蔵(初世市川左団次)。遺言状を読む五郎右衛門の團十郎さんは、中幕で『勧進帳』の弁慶を演じられ朗々とした読みが重なり、趣向をこらしていたのです。 <「『人間万事金世中』をめぐって」・原道生>より。

 

  • 前進座公演での配役。林之助(河原崎國太郎)、おくら(忠村臣弥)、五郎右衛門(武井茂)、勢左衛門(藤川矢之輔)、臼右衛門(益城宏)、おらん(山崎辰三郎)、おしな(玉浦有之祐)、宇津蔵(嵐芳三郎)で、臼右衛門は、親類の一人で欲のかたまりである。おくら、おしなは、若手で抜擢された役者さんで成長著しい。勢左衛門一家に欲に対する団結。さらにその中に会っても個人の欲の追求。その中で耐えに耐える林之助とおくら。しっかり見ていた五郎右衛門。あざやかに役目を果たす宇津蔵。それぞれの役どころが押さえられ、歌舞伎の身体で黙阿弥をできるのは前進座の強みで、あまり上演されることのないこの作品を観ることができよかった。

 

  • 原本では、宇津蔵の借金の取り立ては狂言で、そのことを林之助は知っているが、そこを今回は本当の取り立てに変更している。そのことで、林之助の親の借金は無一文になっても返すという心意気がでて、それだからこそ見ていてくれた人の情けがより伝わった。黙阿弥さんは、勢左衛門一家を懲らしめるほうに持っていったのかもしれない。そこを、今回は若い者たちの成長とし、人情喜劇としている。江戸から明治を経験した黙阿弥さんの時代の流れに対する想いは迷路なので、そこは踏み込まないことにする。いつか踏み込めるとよいのだが。

 

  • 筋書に芝居の<ゆかりの地めぐり>も載っていてそれを参考に横浜を歩きたくなる。六月歌舞伎座に黙阿弥さんの『野晒悟助(のざらしごすけ)』が上演される。これも記憶にないので愉しみである。

 

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