浅草散策と映画(4)

  • 映画『お嬢さん社長』は1954年(昭和29年)、映画『東京暗黒街 竹の家』は1955年(昭和30年)公開である。『東京暗黒街 竹の家』は、アメリカの20世紀フックスが、映画『情無用の街』(1948年)の場所を日本に置き換えてリメイクしたものである。撮影の前後はわからないが、公開は『お嬢さん社長』のほうが『東京暗黒街 竹の家』より先なのに、浅草国際劇場の正面の雰囲気が『東京暗黒街 竹の家』のほうがやぼったく、幟があったりしてごちゃごちゃしている。日本に対して感覚がずれている映画の一つで、着物や住宅の中も何処なのという感じである。室内などは、アメリカのセットで撮られたのであろうし、変なアクセントをしゃべる日本人が出てくる。ただ、ロケは、その時代の浅草、銀座、鎌倉、横浜港、山梨などの貴重な映像となっている。

 

  • 映画『『東京暗黒街 竹の家』(監督・サミュエル・フラー)は、米軍警察の捜査官がアメリカ人の犯罪組織に潜入するというもので、『情無用の街』は、実際にあった第一次大戦後のギャングとFBIの対決を脚色したドキュメンタリータッチのギャング映画ということで後日見るが、こちらのほうが面白そうである。先ず、映像の中心に富士山がありその手前を蒸気機関車が走る。この軍用列車から、ピストルなどが強奪されるのである。犯罪組織の一人が重態の状態で拘束され死亡する。この男の妻が組織には内緒のマリコ(山口俶子)で、捜査官(ロバート・スタック)は死んだ男と友人であった男エディになりすまし、マリコに近づき、さらに犯罪組織の仲間となる。ボス(ロバート・ライアン)は、エディを信用する。

 

  • エディがマリコを探しに行くのが浅草国際劇場である。踊子たちが屋上で練習をしている。時計がみえるので、この屋上は銀座あたりのビルかもしれない。マリコは踊子のようであるが、身の危険を感じて自宅に逃げかえる。舟で生活している人もいる。川本三郎さんの『銀幕の東京』(浅草)によると、佃島で、当時、水に浮かぶようようにして木造の小さな家が並んでいて、題名の「竹の家」はそこから付けられているとある。ロケの映像はそのままであろうが、室内ははてなである。それは置いておき、組織からは、マリコはエディの恋人とみられ、二人は、ボスの家に住まうことになる。しかし、エディが裏切者であり捜査官であることが判明。

 

  • 危うく殺されるところを助かった捜査官とボスの銃撃戦がはじまる。ここが、見どころの一番である。ボスは浅草松屋の屋上の遊園地に逃げ込み、ボスはスカイクルーザーに乗るのである。スカイクルーザーとは土星の形をした大観覧車で、輪の部分にベンチがぐるっとあってそこに人が座り、輪の部分は一回りするようになっていてぐるっと360度、下の風景を観覧できるのである。二人の攻防を見つつ、スカイクルーザーから観える景色も追うのである。隅田川が見える。どうも浅草寺らしい建物と赤い仲見世らしきものがみえるが、本堂は空襲で焼けて1958年に再建している。形は出来上がっていたのであろう。五重塔は1973年再建であるから何もない。スカイクルーザーがなければ、この映画の面白味はないといえる。

 

  • 最初の富士山と蒸気機関車の映像は、現在の富士急行線の富士吉田駅と河口湖駅の間にわざわざ蒸気機関車を走らせたそうで、この線は乗っていないので是非乗る機会をつくりたい。楽しみがふえた。早川雪洲さんも警部役で出演している。

 

  • 映画『お嬢さん社長』は、美空ひばりさんが、16歳で社長になり、唄う場面も豊富にあるという川島雄三監督の映画である。川島監督は 「お正月映画で、美空ひばりさんでやった、唯一のものです。ひばりちゃんが、少女であるか、女としてお色気を出していいか、高村潔所長と話しあい、「少女の段階でやってくれ」 といわれたのを、覚えています。」といわれている。喜劇としているが、母恋い物の雰囲気を残している。ひばりさんの歌う場面は時代の流れを上手く捉えて挿入している。女としてのお色気をだすとすれば川島監督がどうみせたのかも見たかったです。

 

  • 製菓会社社長の孫のマドカ(美空ひばり)は、死んだ母が歌劇団のスターでもあり歌手になりたいとおもっている。浅草の歌劇団のファンでもあり、スターの江川滝子と行動を共にし、舞台ぎりぎりに劇場に送り届ける。その場所が浅草国際劇場である。劇場の舞台監督・秋山(佐田啓二)からマドカは叱責をうける。秋山に謝るためお菓子をもって、浅草稲荷横丁をたずねる。その住民の中に、太鼓持ちをしている母の父、マドカのもう一人の祖父も住んでいた。どうもマドカの亡き父母には、哀しい事情があったようである。社長の祖父が病気のため、マドカは急きょ社長になる。会社には、会社を乗っ取ろうとする動きがあり、それを食い止めてくれたのが、太鼓持ちの祖父であり稲荷横丁の住民であった。

 

  • 社長のマドカは、社内を明るくするため屋上でコーラスの指導をする。森永の広告塔が見え、マドカも秋山の友人でデザイナーの並木(大坂志郎)の案で広告塔をつくる計画を立て、宣伝のために自らテレビに出て歌うのである。この歌う場面になるとひばりさん、お嬢さん社長から美空ひばりの貫禄になるのが面白い。音楽は万城目正さんである。テレビのCM放送が1953年ということで、川島監督しっかり時代に合わせて会社経営も考えている。しかし、乗っ取り一団の策略でまどかは社長を降り、会社も危ない状態となる。それに加担していた、浅草の親分が、テレビのマドカの母を想う歌が好きで、悪事をやめてくれ、会社の危機はすくわれ、マドカも歌手として浅草国際劇場で歌うことになる。

 

  • 川島雄三監督、しっかり浅草の当時の面影も残しておいてくれる。マドカが、水上バスで浅草に着く。今の吾妻橋のところである。この水上バスは浅草から両国、浜離宮方面に向かうのである。その案内アナウンスをしているのが、稲荷横丁の娘さんである。親分を探して太鼓持ち・三八(桂小金治)と歩くマドカが立ち止まった夕暮れの隅田川の対岸には、松屋の屋上のスカイクルーザーがみえる。この映画の数年後、浅草国際劇場でひばりさんは、ファンから塩酸をかけられるという事件にあっている。色々なことを見て来た国際劇場も今はホテルとなっている。
  • 出演者/市川小太夫、坂本武、桜むつ子、小園蓉子、有島一郎、多々良純、月丘夢路

 

  • このホテルの近くにSKDの団員さんが、よく行かれたという喫茶店『シルクロード』がある。外見も古くなってしまったが、当時はおしゃれであったであろうと思えるし、若い劇団員やスターが、狭いドアをくぐってくつろぎにきたのが想像できる。時代を感じる色紙や写真があり、プログラムもあったので見せてもらったが、小月冴子さんくらいしか名前がわからない。お一人、甲斐京子さんは、新派や商業演劇でも活躍されているのでわかった。喫茶店は、地元の方たちの、もう一つのお茶の間という感じでくつろがれている。浅草寺中心の喧騒から離れたこういうお店と出会えるのも浅草ならではである。着物の姿の若い女性やカップルも多く、京都などに比べると気楽に楽しんでいて敷居が低い。

 

  • 松屋の屋上のスカイクルーザーの前にあったのが、ロープウェイの航空艇で、そのころの浅草を舞台にした映画は以前書いている。 映画『乙女ごころ三人姉妹』

 

  • 作曲家の木下忠司さんが、4月に亡くなられていました。木下恵介監督の弟さんでもあり、映画大好きの人間にとっては、これも、これも、これもと思わせられるほど多くの映画音楽を手掛けておられ楽しませてもらいました。時代劇テレビドラマ『水戸黄門』の主題歌もそうです。100歳の時、浜松市の木下恵介記念館でのお元気な写真があり、102歳での大往生ということです。(合掌)

 

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