浅草寺社巡りからニューハーフショー

  • スーパー歌舞伎II『ワンピース』を観て以来、本物のニューハーフショーを観なくては片手落ちと思っていた。かつて行った事があるが今のが見て見たいという友人たちと予定成立。当日の日中予定ありの友人とは、夜現地集合。もう一方は浅草観音堂の裏側から浅草に入りたかったので、御朱印を頂く半日コースを入れる。暑いのに風が強く、折り畳みの日傘は用をなさない。地下鉄日比谷線入谷駅から出発。近くに「入谷鬼子母神」があるが今回はパスした。「鷲(おおとり)神社」を目指す。途中で「西徳寺」がある。門前に十七代目中村勘三郎墓所の石柱がある。境内は静かなのでそのまま失礼する。

 

  • 鷲神社」の門には大きな熊手があってテレビでしか見ていなかった酉の市の神社に来たという感じである。拝殿のお賽銭箱の上には、なでおかめと言われる大きなおかめさんの顔がある。皆になでられてお顔が良いつやをされている。境内に其角さんの「春を待つことのはじめや酉の市」、子規さんの「雑閙や熊手押しあふ酉の市」の句碑や、一葉さんの文学碑などがある。酉の市は、日本武尊(やまとたける)が東国征伐の前に戦勝祈願をし、それが成就したので社前の松に武具の熊手をかけてお礼したのが11月の酉の日とのことである。お隣には長国寺あり。

 

  • 吉原弁財天」は、新吉原花園池(弁天池)跡の説明文がある。ここは湿地帯であったが、明暦の大火で日本橋にあった吉原遊郭が移された。この浅草千束の吉原を新吉原という。湿地帯なので埋め立てられ多くの池も埋められたが、ここにあった池は残り弁天祠が祀られ信仰された。池は花園池・弁天池の名でよばれたが、関東大震災で逃れた490人のかたが溺死されたという。池は少し残っていて、鯉が窮屈そうに泳いでいた。築山がありその上に溺死した人々の供養のため観音像が造立されていている。「吉原神社」は、明治になってから新吉原にあった五つの稲荷を合祀して作られたようだ。吉原にあった松葉屋さんで花魁ショーなるものを見ている。歌舞伎のほうが華やかだあと思った記憶がある。

 

  • 浅草富士浅間神社」を目指す。途中遊歩道になっていて屋台が並んでいる。植木市があり、夏詣の旗がひらめく。「浅間神社」には案内のちらしが、「浅草から全国へ!繋がる広がる夏詣」(第5回)とある。それでなのか狭い神社の境内には次から次へと参拝客がくる。近頃の自然界の動きには一年ではなく半年ごとの大祓いが必要ともとれる。御朱印をもらう待ち時間が次第に長くなる。江戸時代には、富士信仰による富士講があった。実際には富士山に行けない人のために富士山のミニチュアを造り、お参りしたことにしたのであるが、ここにも小さな小さな小さな富士山があり参詣できるようになっている。そのために創建されたらしい。「浅草寺」に向かいやっと甘味処で休憩である。豆かん美味しかった。夏には夏にふさわしい和のおやつである。かき氷もおいしそうであった。次のときは氷だ!

 

  • 川端康成さんの『浅草紅団』の中に関東大震災のことが書かれている。「浅草富士浅間神社」前にある富士尋常小学校は、後かたずけをして一階から三階までの教室に千人近いひとが避難した。浅草寺についても書かれている。「一山二十四の支院が焼けても、浅草寺の建物は、一万五千人をいれた。六十人余りの坊さん達は、白衣も、道服も、衣も、皆焼いた。輪袈裟が六、七本しかのこらなかった。よごれた洋服やゆかたで、避難者の世話をした。浅草寺病院、浅草寺婦人会館、浅草寺保育園、浅草子供図書館 ー 今の浅草寺の六つの「社会事業」のうち、この四つの建物が浅草寺の境内にあるが、それは地震の時の人助けの気持ちが、形を変えて続いたものだ。」浅草寺病院を左手にして裏から浅草寺に入る。

 

  • 浅草寺の御朱印は影向堂で頂ける。やはり並んでいる。一人路地などをふらふらする。浅草寺の境内も色々な碑があり、『鳩ぽっぽの歌碑』(東くめ作詞、滝廉太郎作曲)も木馬亭に向かう時、突然出て来て驚いた。人の流れに気を取られ気が付かないでいた。この歌の碑は、和歌山県の新宮駅のロータリーで見つけ、東くめさんが新宮出身だということを知った。そして歌詞は浅草寺境内で鳩と遊ぶ子供たちを見て書いたのだそうである。御朱印を書いてくれる人が何人かいるらしく、頂いた人同士でそちらの字のほうがいいわねなどと話している。これもまたご縁であろう。

 

  • 浅草神社」へ。夏詣のためこれまた人が多い。御朱印帖を預けている間に、その奥の「被官稲荷神社」へお参り。ここで「浅草神社」(恵比寿)「被官稲荷神社」の三つの御朱印が頂けるのである。腰かけて待っているとお隣のかたが、夏詣の御朱印は明日からなんだそうですねと言われる。どうも、7月1日~7日までが夏詣の特別御朱印があるらしい。さてここで浅草神社境内にある句碑を記しておく。「女房も同じ氏子や除夜の鐘」(初代中村吉右衛門)「翁の文字まだ身にそはず衣がへ」(初代市川猿翁)「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」(久保田万太郎)「生きるということむずかしき夜寒かな」(川口松太郎)

 

  • 浅草巡りで「鷲神社」(寿老人)2、「吉原神社」(弁財天)2、「浅草富士浅間神社」(植木市)2、「浅草寺」(大黒天)2、「浅草神社」 3 で 9種類の御朱印を頂いたことになる。こちらは御朱印は頂かないが、今回の散策で浅草のさらなる地図がインプットでき、暑いなか頑張った甲斐があった。さらに地下鉄銀座線で新橋に飛び、新橋駅そばの「烏森神社」へ。ここも夏詣で参拝から人が並んでいる。夏詣の特別御朱印があって書き置きのため予定時間内にすみ一安心。通常の御朱印は改めて頂きにくることに。水色の綺麗なお守りも入っていて、予定の寺社巡り完了。さてさて次なる予定へ。書き置きでも御朱印帖はきちんと持参したほうがよいです。今ネットショップで売り買いされたりしますので御朱印帖をだしてということのようです。他人の頂いた御朱印を売り買いするというのがわかりません。

 

  • 楽しみにしていた「ニューハーフショー」のお店へ。友人の一人は実家のお母さんのことで疲れていて途中で早退するかもといっていたが元気になり、いつもの好奇心度全開である。開店と同時にの一番乗り。ショーに出演するかたが接客もしてくれる。今日は満席だそうで、盛り上がっていいですねというと、その分お客様とのお話の時間が短くなりますとお客様目線である。何人かのかたが写真の名刺を配られて話しかけてくれる。質問大好きな仲間は、色々聞いてしまった。次のステップとしてここで修業している感じである。すでにコマーシャルで踊っているかたもいて、それはショーを見てわかったが皆さん踊りはプロである。

 

  • これほどしっかりした踊りを見せて貰えるとはおもっていなかった。男、女、ニューハーフの方との混成でそのキャラを生かした構成になっている。笑わせたり、エロかったり、物語風になったりと客席も使っての大奮闘である。舞台が狭いのでこの人の踊りもう少し観たいなとおもうがそうはいかない。よくぶつからずに踊りながら移動するものだと思う。お客を舞台にあげてのショータイムもあり、トークも機転が利いていて飽きさせない。接客で養われた腕であろうか。接客してくれたひとが違う輝きで踊っているのを観るのも楽しいものである。

 

  • 訓練されているので身体が綺麗である。ディズニーランドのショーなどのオーデイションの倍率も相当の高さだそうで、今は義務教育もダンス必修である。好きな子はいいけど苦手な子もいるだろうなあ。皆嫌いだった高校時代の体育の創作ダンスの時間を思い出す。ステップの一つも教えてくれたほうが楽しかっただろうに。ショーでも最後に参加型の振り付けを教えてくれるが、それぞれ表現が違っていて観ているほうが楽しかった。飲んで、食べて、笑って、感心して違うショーのお店にも行ってみたい。楽しみ方色々。締めを忘れてはいけません。スーパー歌舞伎II『ワンピース』の「ニューカマ―ランド」の可愛い娘ちゃんたちよりもずうーっと美人さんでした。

 

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